不幸だらけの人生を生きる意味とは?
はじめまして。
自分の人生についてご相談
させていただきたいです。
私が最初に人生を諦めたのは
3歳の時です。
そこから今までの20数年。
自分だけがとか人と比べるものでもない
けれど普通の人よりかは昔から
家庭環境や人間関係など苦労は
多かったと思います。
それでもそれなりに真面目に
法に触れることや人を傷つけることなど
当たり前ですがしてこなかったし
ちゃんと生きてきたつもりです。
ただ、まわりの人をみると
幸せな人生の人ばっかりで
いじめをしてきた人、
中絶を悪気なくする人
そんな人たちばかり幸せになっているのを
みると私ってなんなんだろう
生きる意味ってなんなんだろうと
思ってしまいます。
今私のお腹の中にはこどもがいます。
父親になるはずだった人には
突然裏切られました。
私の昔からあった夢が
子どもの行事に家族みんなで参加する
温かい家庭をつくることでした。
それがもう一生叶わなくなってしまいました。
昔から困難を乗り越えても乗り越えても
待っているものはそれを超える
困難と絶望だけで幸せとはかけ離れています。
全てが不幸だったとは思いません。
人のせいだとも思いません。
全て自分の選択で自分が悪いので。
ただこのまま生きていても幸せな時は
一瞬あってもその先には絶望しかなく
なによりずっと昔からの夢が二度と
叶わなくなってしまったことで
生きる気力すらありません。
こんな人生で生きる意味とは
なんなのでしょうか。
支離滅裂な文ですみません。
どうか教えていただけますと
幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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幸せはここに すぐそこに
はじめまして、こんにちは。
お辛いでしょう。
新たな命を宿され、心身ともに大変な状況だと思います。ただでさえ、お辛いのに追い打ちをかけるように「突然裏切られ」たのこと。苦境にあって、途方に暮れるご心中をお察しします。
「昔から困難を乗り越えても乗り越えても待っているものはそれを超える困難と絶望だけ」と仰っています。これまで懸命に努力し続けられた、あなたの足跡に思いを致します。頑張ってこられましたね。困難の先には幸福がある、私も含め人はそう思えるから努力するものです。
あなたは、ご自分の思い描いておられた幸福を次のように述べておられます。「子どもの行事に家族みんなで参加する温かい家庭」、また「それがもう一生叶わなくなってしまいました」とも言われています。ご落胆の通り、残念ながらこの度は思い描いていた幸福通りに事が運ばなかったことかもしれません。努力の先にまた、困難と絶望が口を開けていたことを、またかの思いで肩を落としておられるのでしょう。
しかし、ちょっと視点を変えてみましょう。あなたは、この度女性である共に「母親」に成ることが出来ました。子供のおかげで「母親」に成れたではありませんか。これだけでも、人生は幸福の方向に進んでいます。確かに薄情で、無責任な父親はいないかもしれません。でも、あなたと子供さんだけでも完結しうる幸福も幸福の名に値しませんか。
あなたの精一杯の愛情を子供さんに注いであげてください。子供さんの笑顔と共にほころぶあなたの笑顔が目に浮かびます。
幸せは今ここに、そしてすぐそこに見えています。
お幸せに。
質問者からのお礼
優しいお言葉ありがとうございます。
今はまだ母親になれた幸せよりも
これから一人で子どもを育てること
なにより経済的な不安の方が大きく
幸せだとは思えないのが現状ですが
いつか少しでも幸せと思える日が
くればいいなとは思います。
ありがとうございました。