"辛い" が癖になってる
特に大きな苦しいことは無いはずなのに
ちょっとだけ嫌だったことをなんとなく自分の中で大袈裟にしてしまって
勝手に誰よりも苦しいふりをしてしまいます。
死にたい とか 自分が嫌い って
思っていたいんです
"今日は楽だったな"みたいな自分が明るい気持ちになったのに気付くと
いや、私は普通の人と違って何事にもネガティブに考えなくちゃいけない 死にたくなっていなきゃ私は心がおかしい子だから
って修正したくなって
そうするんです。
"今日楽しちゃったってことは明日はとっても辛いんだろうな"
とか。
でも そのせいで失敗しちゃうこともあるんです。
ずっと暗くて否定的な考えでいると、
よく人を傷つけるような発言をしてしまったり強く当たってしまったり。またそれで自分を嫌いになれます。
今日 また 人を傷つけちゃった
とか 話ができる人は身近にいません。
いないというより、したくないに近いです
ずっと苦しく居たいので、あまり話しません。
誰かに話したら 私は苦しくなくなってしまう
本当はちょっとでも苦しんでる私に気付いて欲しいけど 心配なんてされたら 幸せになってしまう
幸せな私なんて 私は愛せない
少し考えて
私は救われたいのかな 今までの苦労を誰かに気付いてもらったとき こんなにこんなに頑張ったんだねって して欲しいのかな
と思いました。
なら 誰かに話して肯定されたら 私は苦しく居たくなくなるのかな? とも思いましたが なかなか今の私には想像できません。
辛かった思い出を引きずって生きて
その辛さが今まで心を満たしてきた
最近は少し環境がかわって 辛いこともそれ程頻繁に思い出さなくなった でもその代わり なぜか心がからっぽな感じがして
私には
友達もいて 好きなこともあって もしかしたらもう本当は幸せで救われているのかもしれない
そう思うことはできても
確かに私の心がその思考を許しません。
死にたいとか自分を愛してないとか
この思考のどこまでが本当の気持ちででどこまでが嘘の気持ちなのかとか、いろいろわからなくなっていました。
私は苦しみたいままでも いいのでしょうか?
周りを傷付けずに 自分だけ苦しいふりを続けることは
できるでしょうか?
すみません、要点があやふやでよくわからないですが、自分なりに頑張りました。読んで下さるととっても嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【幸せになる勇気】アドラー
"その辛さが今まで心を満たしてきた"
「我こそはトップクラスの不幸者である」という自負【特異な優越感】を持つことで、自分を押しつぶしそうな【劣等感】と格闘してきたんだね。しかし、それは仏教では【卑下慢】といい、過度な劣等感も立派な慢心、つまり「自惚れ」であると説明している。
そんなあなたに心理学者アルフレッド・アドラーは、「幸せになる勇気を持て!!」と呼びかけている。そして仏教では、お釈迦さんが「勇気を出して前へ進め!!」とあなたの背中を押し、阿弥陀さんが「勇気を出してこっちへ来い!!」と向こうから喚びかけていると説明している。
"自分だけ苦しいふりを続ける"
そんなことしなくていいよ。
私達は、あなたを祝福したいんだ。
質問者からのお礼
お返事 ありがとうございます!
幸せになる勇気 卑下慢 少し調べてみました。
すごく今の自分にあてはまりますね…
いろいろ読んで 少しずつ飲み込んでいきたいです
やっと思考が動いた気がします。
本当にわざわざ ありがとうございました。