自分を許せないです
はじめまして。仏縁に恵まれ、皆様と想いを共有できることを嬉しく思います。私の家族に対する感情、そして私自身の仏道について質問させていただきます。
私は家族が大好きです。しかし、去年に母が難病を患い、医師から治療不可能だと告げられました。
母はその激痛で毎日苦しんでいます。激痛が原因で鬱病も併発し、「殺して欲しい、安楽死させてほしい、生きていても意味がない、楽にして欲しい、」と涙を流しながら私に訴えてきます。このことはまだ高校生の弟に言っておらず、私と父の胸の中だけにしまってあります。
その時は、かつて私がしてもらったように、「大丈夫、」と言って抱きしめています。でも
それすらかえって負い目を抱えさせてしまっています。
私はかつて母に周囲からは虐待を疑われるほどの「しつけ」を受けていました。そのことを何度も何度も謝ってきます。亡くなった愛犬の仏壇で泣き出すこともあります。また、言っていないことを言ったと主張したり、自分がしたことをすぐ忘れることが増えました。
父は時にお門違いな怒りを私にぶつけてきます。理不尽な理由で、なんらかのトラブルを問答無用で私を悪者にする癖があります。健常者だった母と喧嘩した時、ほぼ理由も聞かず私を折檻しました。ほとんど何も知らない状態で
です。
弟は細かい実情を何も知らずに高校生だった頃の私よりもはるかに高額な金額を湯水の如く使っています。
そしてあるときに気がつきました。私は、家族をどこか煩わしく感じてしまっている時があると。
病弱だった自分に優しくしてくれた家族を思い出すと、そんな最低なことを考えてしまう自分が許せず、やるせない気持ちになります。
また、私自身が欲望に溺れてしまい、五戒を守れないことが多いことです。仏道を知ってから、私なりに欲に溺れず、五戒の習得に励んだつもりです。しかし、少し油断すると様々なところでそれらを犯してしまいます。ネットで海賊版の動画などを見る・ふしだらなことを考えてしまう・意図せずとも嘘をついてしまう・付き合いでつい飲酒してしまう、などです。
仏道を知ったこと、そして家族の現状から、自分がいかに脆弱でちっぽけな存在であるか痛感しました。このような場所でしか思いを吐露できず、藁にもすがる思いです、
家族や周囲の人を幸せにする存在になるために、これからどのように生きれば良いでしょうか。
時に、どうしようもなく愚痴を溢してしまいたくなります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『浄戒を持(たも)たん者』。
はじめまして。
浩文(こうぶん)と申します。
戒は、あなたを責めるためにあるのではありません。
褒め称えるためにあるのでもありません。
これだけは忘れないでいただきたいです。
もちろん、
自分を許せない感情を持つことは
非常に大事な素質です。
宗教は、いつでもどこでも
そこから出発します。
仏道しかり。五戒はそのことを教えてくれる意味でも
非常に大切な徳目であると思います。
痛感していること。
やるせない気持ちのあること。
これらがすべて浄戒を持(たも)たん者の
智慧だと思います。
確かに守り切ることは非常に難しい。
しかし守り切れない自身の弱さを
それでも引き受けていくところに
戒の凄みがあります。
戒とはルールではなく
心がけていく道そのものです。
自然な流れに沿った
安心の道なのです。
人には人の道があります。
あなたにも、あなただけの道があると思います。
様々な事情があるにせよ
いかに家族であろうと
あなたにはあなた自身の道を歩むことが
お互いを支える力になると思います。
大きな力は必要ありません。
日々、ごめんねを言い、ありがとうを言い、
手が汚れれば拭いてやり、
呼ばれれば返事をする。
当たり前のことを当たり前に。
たとえ泣き叫びたいときでも
たとえ逃げたくなるときであっても。
これに勝る安心はありません。
実のところ、
戒は戒だけで成り立っているわけではありませんから。
色んな教えに触れ、自身を見つめ、
戒はそれによっても育まれていきます。
私が戒を守るのではない。
私が戒を育んでいくんだと。
そんなおつもりで。
どうか人を、自分を、
責めすぎないように、傷めすぎないように、
過ごしていただきたいです。
南無釈迦牟尼仏 合掌