いじめの償いと罪悪感との向き合い方
いじめの罪悪感と償いと どう向き合っていけばいいのでしょうか?
高校1年生の時にクラスメイトの女の子をいじめていました。
本人にわかるように悪口を言ったり笑ったりしました。
それから高校2年生にあがると彼女は同じ学校の別のコースに移動になり
高校卒業まで関わる機会はありませんでした。
私は卑劣な事をした罪悪感から
卒業後 彼女と1対1で直接会う機会をもらい謝罪をしたところ、許してくださいました。
コースを変えたのもいじめが原因ではない。と言っていました。
ですが 私は自分で自分を許すことができません。
許してもらえたところで 私が彼女の心に傷をつけた事は変わりません。
罪悪感を背負い続ける事が償いなのかと考えていました。
ですが、今は背負っている罪悪感で毎日潰されそうで
自分は幸せになる資格がないとも思います。
それなのに、卑怯にも私は今自分がもっている幸せを手放す事はできません。
そもそも罪悪感をもっているのも
良心の呵責に苛まれるのも
我が身可愛さなんじゃないかと思うと自分で自分が浅ましいです。
そんな自分を何も知らない両親や友達はいい子だと思ってあたたかく接してくれます。
思いきって誰かに過去にいじめをしていた事を打ち明けようかと思いましたが、
自分が話して楽になりたいだけだと気がつき、やめました。
ですが、いじめをしてしまった最低な人間だと知らない人から愛情を受け取るのは 大切な人達を騙しているんじゃないかと後ろめたくなります。
もし 罪悪感を背負いながら いじめてしまった彼女の幸せを願い続け 自分を幸せにし、 周りを幸せにする事が償いとなるなら 人生はとても険しく辛いものだと思います。
そして この罪悪感に潰されそうな暗い気持ちが一生続く事が償いなら
甘んじて受け入れるべきだという気持ちと
逃れて人生を楽しみたい気持ちと矛盾した感情にも悩まされています。
これからどうやって生きていけばいいのかわかりません。
私はいじめの罪悪感と償いとどう向き合って生きていけばいいのでしょうか?
また、大切な人達にはいじめをしてしまった事を打ち明けるべきでしょうか?
知恵をおかりしたいです。
よろしければ回答よろしくお願い致します。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もう今日で罪悪感を解放しましょう。
すみさんのように、いじめに対して反省し後悔をしている人もいると思います。
いじめをしている最中は、それがいじめと気づいていてもやめられない状態にあったのだと思います。しかし、その状況から離れると、そして冷静になった時、それがいけない事であったことが、罪意識として、今度は、その罪悪感が自分自身を押しつぶそうとしている。そんな状態かと思います。
さて、その友人には、直接謝ることができ、一応許してもらえたので、この件は終わっていると思うのですが、肝心な自分自身を許していないということです。
罪悪感は自分自身で作り出すものですから、最後は自分自身で解放しなければなりません。
こうして文章として心の内を明かされたのですから、もう誰にも話す必要はないと思います。あとは、自分でこの苦しみから抜け出すしかありません。
そして、あまり自分に対してのペナルティを課さないでください。
必要以上に自分を責めたり、行動をセーブしても何の解決にもなりません。むしろその事が次の良くない結果につながります。
何度でも言いますが、罪悪感は自分が作り出しているものであり、第三者には全く関係ないことである。ということです。反省し謝罪したなら、その時点で問題は解決しているのです。
今日からの人生は、この罪悪感から解放され、前向きに、そして自分も含め周囲の人たちにも笑顔で接し、少しでも人のためになれるよう心掛けていくことの方が、どれだけいいことなのを考えてください。自分を責めても何の意味がないことを理解してください。
今回のご質問が、いい方向へ向かうきっかけとなることを望みます。
質問者からのお礼
お返事が遅れてしまい すみません。
回答ありがとうございます。
自分を責めていても意味がない、少しでも人のためになるよう心掛ける、
これから変えられることに気持ちをむけ
優しい気持ちを忘れずにいたいと思います。
ありがとうございました。