小さな冤罪
彼岸会に参らせて頂き、別院で2時間程の行事に参加した後の事です。
本殿(観光地となっています)前の野外で親子で順に1人づつお線香に火をつけていた時、本殿の奥から
「あんたお金払わないといかんよ」と怒鳴られました。あぁ、間違いかな と思い「払いましたよ」と応じたところ
「ずっと見ていたから払っていないの分かるよ」「悪い事はしたらいかん」「この人が払ったよ、見とった あんたは払っていない」
と、こちらが いついつこういう形で払ったという度に表に出てくる事なく中から大声でおっしゃるので、本殿の中に入りお参りするのも悲しく辛い状況になりました。
「この人が払ったのは見た」という、この人とは私の家族です。家族でひとりだけお線香代をくすねる訳無いと思うのですが。
お線香代は、良心販売方式で箱に100円入れる様になっていて本殿中からは3M以上離れています。
同行していた幼い子がお中日のお線香初体験を楽しんでいましたので、この子に気持ちが落ち込んだ事が伝わってはいけないと思い本殿にすすみ手を合わせましたが、疑いをかけた人物は不審な者を追うような目で睨みを利かせていて怖かったです。
まだ昨日の事なので、幼い頃から親しんだお寺に怖い印象が湧いてしまいそれが悲しく辛いです。どの様な心持ちで思い直せば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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気分悪いですよね
せっかくお寺にお参りになったのに、嫌な気持ちになられたんですね。
実は私もいつも似たようなことで苦しんでいるんです。紹介者でかつ仲人の夫婦がとんでもない連中で、表向きはきれいなことばかり言うくせにカネに汚く、権威主義的で、ウソつきです。旦那(住職)も坊守(住職の妻)もとんでもない汚い連中です。私だけでなく家内も傷ついていまして、たとえば坊守は家内と同じ滋賀県立八幡高校卒なのですが、嘘までついてそれを隠していたんです。でも、同じ高校の通学距離内に住んでいて、かつ同業者にその学校の関係者(卒業生、先生)がいっぱいいますから嘘ついてもすぐバレます。そんなこと分からんはずがありませんが、生まれつきの嘘つきとはそんなもんなんでしょう。
あなたが嫌な気持ちにさせられたまさにそのお寺という環境でずっと私は暮らしているのですから、私は常に嫌な気持ちで生きています。お寺なんてそんな所なのか? 坊さんてカネに細かい守銭奴なのか?ってね。
で、私は嫌な気持ちにどう向き合っているかといいますと、だからこそ、自分だけは裏表のないように生きよう。細かいことで人を傷つけないようにしよう。お寺に来た人、私と接する人にホッとした気持ちになってもらおう。と、出来もしないことをしようとしています。
考えてみれば、あなたをとがめたその人は気の毒な人です。私でも常習犯な、かつ悪質な人には注意するかもしれない。でも、基本、あなたが言われたようなことは言いません。そんなことを言う人は、気の毒な人なんでしょう。お寺に縁があってお寺にいながら、心が貧しいんです。そんな人、お寺のなかにはゴマンといます。お寺という環境のなかにいながら気の毒な人ですよね。
その心の貧しさにあなたも影響を受けたら、あなたも気の毒な人になってしまう。いま皆が困っているコロナウィルスみたいなものです。伝染したら、あなたも病む。だけど、強い免疫力があればウィルスに触れても発症せず、平気でいられるわけです。これを機会に心の健康を作り上げる努力をしてみませんか。健康は一日にしてならず、です。毎日、運動を続けないと健康になれないように、心豊かに生きるためにはそうなれるように日々、努力し、努めていかなきゃなりません。そうしていくきっかけをその人があなたにくれたんだと思ってください。
質問者からのお礼
ご回答頂きありがとうございます。
私には、怒りは無いのです。
例のお寺の方(お坊様ではありません)も お金お金という心根の方とは感じませんでした。
あの方の正義感でしょう。
正義感をはき違えた行動は暴力と等しいと思っていますが、だからと言って怒りは全くありません。
毎日毎日目を光らせて人の不正を探すのは、心が荒むでしょう。
人は自ら追う物に引きづられてゆくものだと思うのです。
彼は、彼が追い 見咎め 責める対象物で溢れかえった世界を構築している様にも思えます。
一日中経ち、穏やかに眠れる夜を迎える事ができました。
ご返答頂いた上で再度 自身を見つめ直す事が出来たおかげです。
ありがとうございました。
彼の目が悪しき者を探し追う辛さから解放されます様に。
私の目も然りです。