死産後 人との付き合い 供養
一ヶ月ちょっと前に四人目を死産しました
主人は忘れてしまったかのように
今までと変わらず普通に生活していて
私は今でも思っては泣きで前に進めず
一人だけ取り残されてる気分です
私は地元から離れて暮らしてるため相談できる人も近くにおらず、子供達の送り迎え生活に必要な買い物以外は家に引きこもってる状態です。
もうすぐ四十九日なので供養しに行こうと思ってるのですが、骨壺は自宅で保管して供養しようと思ってます。
ですが水子の祟りがと言われどうするべきか悩んでしまってます。
自宅で供養する場合は何が必要なのか
どうしたらいいのかという悩んでる状態です
主人は私のしたいようにとあまり意見を言わず
実母は色々アドバイスをくれるのですが
最終は宗教が違うのでそういうのにうるさい義母に一回相談してみたらとのことです
ですが義母は前々から嫁いびりがすごく関わりたくなく今回報告だけして終わりにしようとしてましたが、入院の日にわざわざ休みをとってついてきて、私にもう少し週数いってたら出産一時金全額だったのにねっと言ってきて、火葬には子供達は良くないから連れていくなとか水子の祟りがとか人の気持ち考えてるのかと思うことを次から次へと言ってきました
そして私が死産する数日前に主人の妹が出産していて、私はどうしてもその子に会う気にはなれず、その事も主人に義母は色々言ってるみたいです
そんな人に相談しても
また心ないこと言われ
自分が傷つくだけだから関わりたくありません
それで今回このサイトを見つけ
相談してみようと思いました
どのように供養してあげるのがいいのか
嫌な思いをしてまでも義母と
必要最低限以上の付き合いを
持つべきなのか
今後どうしたらいいのかわかりません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたと仏様を繋ぐお役目
ゆな 様 相談ありがとうございます。
身体の方は、もう大丈夫ですか?無理をなさらないようにしてくださいね。
まずは、自分の考え方を優先して、供養をされれば宜しいかと思います。
骨壺を、ご自分の手元でどうぞ供養してあげてください。自分が心おきなく抱きしめたような、愛情を注いだような気持ちになって、そしてその気持ちにご自分で納得された時に、納骨をご自分の良いと思うところへ納骨されれば宜しいかと思います。
お子様は、あなたと仏様を繋ぐお役目をしておりますので、どうぞご自身の信仰で仏様と繋がると思って供養をしてあげれば、お子様も喜ぶと私は思います。
ご主人にご自分の気持ちを、「愛情を注いであげたい」ということをしっかりと丁寧に伝えて、お義母様はじめご家族の方へ伝えていただくようお願いしてください。ご主人もあなたと同じようにお子様に愛情を注いでほしいと思いますので、優しく、ご主人にも、感謝と愛情を伝えて、お願いしてください。
夫婦で支えあい、お子様の供養ができればいいですね。
あなたの信仰が何かわかりませんが、もしお寺様に行かれるなら、水子の供養を丁寧にしていただけるところがありますので、行ける範囲で探してみてお経をあげてもらって充分な供養をしていただくのも一つの方法です。
参考にしてください
一礼
わたしのお寺でのわらべ供養を記します。
亡くなられましたお子様に、安らかならんことをお祈り申し上げます。
あなたさまのお悲しみに、こころよりおくやみ申し上げます。
ご自宅でのご供養ということをご選択されたということですが、
かなえば旦那様のご実家の、或いはあなた様のご実家のお寺様に
ご読経頂くのがよろしいのだろうとは思います。
どうしても難しいということであれば、あくまでわたしのお寺においての
わらべ供養に則ったものとしておはなしさせて頂きます。
まずわたしのお寺では、亡くなったお子様には、たとえ水子の
状態であろうと「おなまえ」をつけていただいております。
沢山のめぐり逢いのなかから授かったいのち。そのいのちに
親からの宝物としておなまえをお願い致しております。
ご自宅での供養ということもありますから、お仏壇などのご用意が
かなうのであれば、お仏壇にてご遺骨をお祀りください。
おはな、あかり、お線香をお供えいただけたら幸いです。
日々のそうしたお供えの際には、ぜひともほかのお子様とご一緒に
なさって頂きたいと存じます。
大事な大事な兄弟のいのちを、受け取っていただくがごとく、
いつかいずれいく世界で会えるように、手を合わせることの大切さを、
言葉ではなく、お母様の姿を以てお伝えいただけたらと存じます。
また、わたしのお寺では、かなう限りほにゅうびんのお供えもお願い
致しております。わたしのおじいさんがそれを大事にされました。
「ほにゅうびん じぞうがひとつ たのまれる」
わたしたちができなかった、おこさまへのあたたかいおちちを、お地蔵さまに
おねがいする。そのような川柳を、わたしのおじいさんは遺していきました。
それから「水子のたたり」という言葉。これほどいのちを冒涜する言葉はありません。うまれくるはずであった「尊いいのち」です。たたるという言葉を信じる者たちこそ、すでに執着という「毒」に犯されているのです。
供養は、たたりを恐れてするものではありません。
「あなたのいのちを大事にしていきます。あなたに安らぎあれ。さちあれ」
の思いで成すものです。たたりを恐れるこころこそ、供養からもっとも遠い心です。自分の都合という毒の心です。
どうか、あなた様の安らぎの一助となればと記しました。
あくまでご参考までとなさって下さい。
さちあれ、さちあれ。合掌