亡くなったペットの気持ちと生まれ変わり
先日ご相談させていただいたものです。
3月のはじめに愛猫を亡くし、生まれ変わってまた再会できることを信じて、毎日自分なりに供養をしながら過ごしています。
いまだ気持ちが追い付いてきません。嘘ならいいのにと何度も考えてしまいます。
私は普段から野良猫のお世話や避妊などもしています。
その子たちはまた別の可愛さがありますが、不思議と連れて帰ろうという気持ちにはなりません。
ところが、あるペットショップのサイトを見ていたらなんとそっくりな子猫がいたのです。どの写真を見ても似ていて、愛猫が撮った写真と同じポーズの写真まであり驚きました。
はじめは、猫を「買う」ということに抵抗があったのと、まだあの子が亡くなって2週間ほどでしたのでそんな気持ちにはなれませんでした。
でもつい毎日その子の写真を見に行ってしまいます。
まだ写真しか見ていないのに、その子に愛猫の面影を重ねてしまいます。
その子も愛猫と同じく体が弱いようでした。結局、気になって仕方がないので家族と話し合いおうちへ迎えることにしました。
実は写真を見たとき(もしかして生まれ変わりなんじゃ?)と思いました。
でも愛猫が亡くなるより3か月も前に生まれた子です。
生まれ変わりに時間軸はないとどこかのサイトに書いてあったのですが、同時にこの世界に存在しているのはさすがに混乱します。やっぱり違う子ですよね…
生まれ変わりであればどんなに嬉しいか…でもそれを確かめる術はないですし、その子はその子として迎えるべきですよね…
主人には、もっと自然な出会いを待ってもいいんじゃない?と言われました。特に反対はしていませんが、あの子の生まれ変わりではないと思っているようです。
私自身、あの子の生まれ変わりを信じて待つといいながら、亡くなるより3か月も前に生まれ生まれ変わりではないと思いながらその子を飼うと決めたことに罪悪感があり、愛猫に申し訳ないです。
ただ似ているから家に来てほしかったという私の我儘ですよね…
これから先、もしピンとくる出会いがあればまた迎え入れることもあると思います。
勝手な想像ですが、四十九日前で、暗くて長い天国までの道を一人で歩いているかもしれないあの子は新しい子を迎えることをどんな気持ちで見ているのでしょうか?
僕は一人なのに、こんなに早く新しい子を迎えるなんてと、寂しく思っているのではないかと心配です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
御縁は一つではありません。
ご質問読ませていただきました。
可愛い我が子が亡くなると、
その喪失感たるや、
筆舌に尽くしがたいものが、
ありますよね。
愚僧でも同じように、
したかもしれませんよ。
涙に暮れる日々から
逃げ出したい。
いてもたってもいられなく
なりますよね。
お気持ちはわかります。
輪廻転生から言えば、
亡くなった子では
ありませんよ。
生まれか変わり
死に変わりですから。
しかし、あなたが迎え入れた子は、
絶対にあなたと御縁のある子です。
間違いありません。
太古の昔から、
私たち人間は、
犬や猫と生活を共にして、
まいりました。
家族として寝食を
共にしてきたのです。
共に雨風を避け
暑さ寒さに耐えて、
少ない食料を、
分けて飢え凌いで、
生きてきたのです。
あなたの家族であった、
誰かが生まれ変わって、
あなたのもとに
来たじゃないですか!
どうか家族の一員として、
大切になさいませ。
この前の子は、
向こうの都合で、
また来ますから。
来たらわかるかどうか?
わかりますよ。
わかるに決まっています。
姿形ではないですよ。
魂ですからね。
あれ、戻ってきたんだね!
ってきっとわかりますから。
どうかお元気で、
お幸せに。
質問者からのお礼
花山様
そうですよね、、、きっとわかりますよね
あの子が戻ってくるのが本当に待ち遠しいです。
新しい子は、私がいつも絶対に買わないであろうペットショップでの販売なのに気になってしまう子ですから、何かしら縁があっても不思議ではないですよね
かわいがってあげようと思います。
あの子も生きていたら、きっと新しい子をかわいがってくれたと思います。
男の子なのに面倒見がよくて、小さな子猫がいれば全身きれいにしてあげて、いつも一緒にいてあげるような子でしたから、あの子の分まで可愛がってあげようと思います。
今、天国までの道のりを頑張って歩いているかもしれないあの子
いつまでも忘れず本当に心の中に生きていると思って毎日をすごさないといけないですね…
一日も早く再会できますように
できれば次はもっと健康な体で生まれてこれますように
花山様
質問というより今の気持ちを書きなぐっただけのようになってしまったにも関わらず、心のこもった丁寧なお返事をいつもありがとうございます。
亡くなったあとの世界を私が見たことがないからといいますか、覚えていないからというべきか…本当はそんな世界を心の底から信じることができないのです。正直なことを言えば、まだあの子がいないことを受け入れたくないのです。
思い出しては焦りに似た感情と、どうしようどうしよう、なんでなんでという言葉が頭の中を回っていて、毎日布団をかぶっていろんなことから目をそむけたくなります。
でも花山様の力強いお言葉を読んでいると不思議と安心できます。
本当にありがとうございます。