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主人が亡くなって26日目です

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主人が亡くなってから様々な手続きや日常生活を無理に送っているような感覚です、毎日お線香をあげ唱えたことのなかった般若心経を唱え、毎晩主人の好きだったおかずをつくり、あっという間に一日が過ぎ、今は四十九日までしか主人と一緒にいられないのなら一日が過ぎるのが怖いです、このまま時が止まってほしいと思うのです、四十九日を過ぎたら私のそばにいてと思ってはいけないのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ずっと観じていいのですよ

もこ 様

まずは、ご主人のこと、お悔やみ申し上げますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝
さて、悲しみの中、無理に過ごしているような感覚、お辛いと思います。癒されていくには人それぞれの時間と感情の揺れがあります。それでもやがて悲しみの底から解放されていくことは起こりますので、今はご主人の事を思い出しても、無理にすごしてるなと感じる時も、落ち込んでいるような時も、自分を責めずに、ゆったりと過ごしてみてください。
そして、四十九日が過ぎても、ご主人は遠くに行ったりしません。直接目には見えなくても、やがて成仏するにしても、あなたが心の中に思う限りはいつも傍に居ると思います。ご主人はお釈迦さまと一緒に現れるかもしれませんし、あるいはあなたが信仰する仏様の世界から現れるかもしれません。
苦しみから解放された、優しい眼差しであなたを見守っているでしょう。
ずっと観じていいのですよ。
安心や安堵や安楽をご主人と共に観じていいのです。

そして、どうしても苦しさから抜けられないようでしたら、グリーフケアのセラピーをお受けになるのも、安らぎや癒しが得らる方法の一つです。
他人に自分の気持ちを吐露するのは勇気がいるかもしれませんので、もし癒しが必要だとか、落ち込みが長引くようでしたらセラピーも検討してみてください。
もちろん、僧侶に聴いてもらうのもOKです。
参考にしてみてください。
一礼

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おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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ずっとそばに

ゆれる海に潜るような
何もきこえない ひとりぼっちのとき
きみはハンター もがきながら
宝物みつけ きっと戻って来る

かわってあげられぬ痛みが哀しいわ
どんなに思っていても

たなびく夕映えの雲 私に
涙あふれさせてくれたかわりに
そっと呼んで つらいならば
時を かけて行くわ

人は勝手ね 淋しいからよ
きみらしいフォームでゆっくりと泳いで

疑うこともなく知り合う人々を
“ともだち"と呼べた日々へ

ふりそそぐ8月の雨 私を
はだしで笑わせてくれたかわりに
そっと呼んで 胸の奥で
ずっと そばにいるわ
今日も 明日も ずっと

松任谷由美さんの、ずっとそばに
です。
あなたの質問を拝読して、
この歌詞とメロディが
浮かんで来ました。
涙が溢れてきました。

ご主人さま、
いつもあなたと一緒ですよ。
今日も、明日も、ずーと。

命日には、
ビールとつまみですかね(笑)

あなたがご主人さまを
思う時、
いつもそばにいますよ。

今日も、明日も、ずーと。

お幸せに!

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おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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「亡くなった・死んだ人に会いたい」問答一覧

母が恋しい

3年前に亡くなった母に会いたくて仕方がないです。 当時の私は高校3年生の受験真っ只中で、母の死にうまく向き合えず、心の整理がつかないまま大学で3年を過ごしてきました。 就職活動にあたり、自分の将来を思い描くとき、無意識に母がいる姿を想像してしまい、それが叶わないことに気付くと辛いです。 また、最近は毎日夢で母の姿をみます。夢から覚めてすぐは、やっぱり実家はいいな、久しぶりに帰ろうか、母に会いに行こうか、と考えるのですが、しばらくしてもう母はこの世にいないことに気づいて毎日泣いたり吐いたりしています。 この3年間、実家に帰る機会は何回もあったものの、仏壇の前に座って母の遺影と位牌をみて拝むことがほとんどできません。なぜできないのか自分でもわかりません。怖いのかもしれないし、認めたくないのかもしれません。自分でもよくわからず、苦しいです。線香もあげてやらない娘で本当に申し訳ないです。 夢で全く会わなかった時期はあんなに夢に出て欲しいと思っていたのに、実際に夢に見るようになってからは辛いだの苦しいだの言って酷い娘です。でも母に会いたくて仕方ないです。もう意味がわかりません。苦しいです。

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故人に会いたい、話したい

親しい仲だった友人弟を亡くして暫く経ちました。 以前質問をさせていただいた時からは、少しだけ気持ちが落ち着き、日常も取り戻しています。 そこで様々な疑問や思いが出てきました為、また聞いて教えていただけたらと思います。 まず、故人とはまたいつか再会出来ると言っていただけましたが、その再会とはどの様なものなのでしょうか。 魂同士で見た目は持たないのか、それとも最後に会った時の肉体の見た目(お互い20代、今の姿)なのか… 私が彼の訃報を受け、お参りに行かせていただいた時には既にお骨の状態でした。その事からか、未だに全く信じられなかったり、肉体への執着心が消えません。堪らなく会いたくなります。 また、無知なので何を言っているのかと思われるかもしれませんが、死後の動きは宗派によって異なるのでしょうか?宗派の把握はしておりませんが、私と彼の家の宗派が違う場合、いつかの再会は叶わない、という事はあるのでしょうか…? そして、彼に聞きたい事が沢山ありますが、特に聞きたい事として、私の事をどう思ってくれていたのか、私とどうなりたかったのか。 現在恋人がいる為、あまり聞くことでは無いと思いますが…私を想ってくれている様な発言を何度か受けており、けれどハッキリした言葉ではなかった為、いつか再会した時に教えて欲しいと思っています。会話は、出来るのでしょうか。 彼に会いたくなってLINEのやり取りやSNSのアカウント、前に一緒に遊んだ時の写真や動画を見ては、彼が居ないことが理解できない気持ちと、もう会えないのか…と強烈な寂しさで苦しんでいます。 記憶力がよくなく、昔遊んだ時の記憶はおろか、数年ぶりに再開した今年の春、初めて一緒にお酒を飲んでとても楽しい時間を過ごしましたが、その記憶さえも薄れています。 彼とのわずかな思い出を忘れる事が、今は1番の恐怖で辛いことです。介護職をしているので、何もかも分からなくなる認知症には絶対になりたくない、記憶があるうちに絶対死にたいと思っています。自死は選びませんが、どうか早くに、とにかく早く人生の幕が閉じないかと願っています。若いうちに彼に会いに行きたいとも。 めちゃくちゃな文章で分かりにくく申し訳ありませんが、また回答をお願いいたします。

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夫の包容力が恋しくてたまりません

夫を亡くしてもう少しで5ヶ月です。 共に過ごした12年間…喧嘩もたくさんしました。それでもなんだかんだ言いながら、私がたっぷり甘えていたのでしょう。仲良くやれていたと思います。 いまは一人で、二人の男の子を育てながら生きてます。というより、子どもが生きる理由です。 こどもの前では泣かないようにと思ってましたが、やっぱり無理です。それと、お盆に入って祭壇が設置されてから色々なことを思い出しては涙し、その都度子どもたちが慰めてくれます。駄目な母親です… 子どもたちを守らなきゃ!育てなきゃ!でいっぱいいっぱい。夫が生きてたときに子育てや色々なことに悩んだときは、『そんなに頑張らなくていいよ』と沢山抱きしめてくれました。 夫の大きな体で、包んでもらったぬくもりが忘れられません。寂しくてたまりません。寂しくなったら子どもたちを抱きしめてますが… きっと甘えなのでしょう。女性としての本能なのでしょう…大きな体で包んでもらいたい…そんな不謹慎な気持ちが浮かび、自己嫌悪です。人間として普通なのでしょうか。それとも、自分が単なる欲求不満なのでしょうか。 今後誰かと恋愛したりとかそんなことは、全く考えてませんが、この欲求がどうしたらおさまるのかわかりません…。もう一度会いたいです。

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亡くなったばかりのじいじに会いたい

大好きなじいじが2023年5月1日午後14:00に他界しました。89歳でした。 肺がんで進行が早く、口の中にまで転移していて、食べることが大好きなじいじでしたが最後の数日間は何も食べれず、飲み物しか飲めませんでした。 最後の最後まで‘お茶漬けが食べたい、ピザか刺身が食べたい’急に出なくなってしまった声を張って言っていました。 私たち姉弟に‘姉弟三人仲良くね’ 私の彼氏に‘結婚式までとても生きれそうにないや’‘朱里のことをよろしくね’そう言って大泣きしていたじいじ。 ばあばは‘みんなが会いに来てくれて嬉し泣きしたんだよ’と言っていましたが、じいじどんな感情で涙したのかな。 今までじいじから一度も弱音を聞いたことはなかったですが、最後のほうには‘あかり、じいじ死にたい’と言ったこともありました。 ‘朱里の結婚式までは生きたいやぁ’いつもそう言ってくれたじいじ。 どうしても叶えてあげたかった。じいじに一番見せてあげたかった。 急遽前撮りをお願いして、じいじの家で写真を撮りました。 その三日後に静かに息を引き取りました。撮影の日まで頑張ってくれました。 小学生時代、下校時にひとつ前の班で出ていたら亡くなっていた命。 心筋梗塞を二度もしていて、いろんなタイミングが合っていなかったら助かっていなかった命。 大きな交通事故をし、80%無理ですと言われた命。そのときは三途の川を見たと言っていました。 じいじは世のため人のために生きていたという印象があります。 どんなときも、生かされていたのかなと思えます。 楽しかった思い出しかないのに。笑っているじいじしか思い浮かばないのに。 どうしても、もっとああしていれば。こうしていたら。そんなことばかり考えてしまいます。 耳が遠かったじいじとあまりお話ができませんでした。 じいじは幸せだったか、みんなじいじのことをこんなに想っている。 話したくて伝えたいことがたくさんあります。 お葬式で読んだ【孫たちからのお手紙】ちゃんと聞こえていたかな。 私は何度生まれ変わってもじいじの孫でいたいです。 毎日毎日、じいじにあいたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ