回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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相手のためかどうか
ご質問拝読しました。
ある方が入院したとします。
胃潰瘍で大したことはないのに、
進行性の胃癌で、
余命は2ヶ月だと嘘をつく。
これは相手を精神的に追い詰める
悪い嘘だと思います。
逆に、
進行性の癌で余命わずかの方に
最近はよい抗癌剤があり、
完治する可能性が高いから、
気をしっかり持って、
頑張りましょうよ!
と嘘をつく。
これはよい嘘とまでは
言えませんが、
許されるのではないでしょうか。
愚僧の視点を申し上げれば、
嘘をつくという現象、
そのものよりも、
御縁のある目の前の方に、
いかに真剣に関われるのか、
相手のために、
相手の幸せのために、
自分のできることをする。
それだけだと思いますよ。
バチが当たるかどうかは、
神仏がお決めになることです。
こんなに愚かで、
お粗末な私ですから、
結果を求めることもなく、
誠心誠意という思い、
これだけだと思います。
嘘、発言、現象で
判断されるのでなく、
思いやり、優しさ、
献身、愛情を持って、
周りの方々と、
関わっていきたいと、
常に反省しております。
許されるかどうかではなく、自分の修行
嘘をつかないようにしましょうというのは、仏教の五戒(五項目の生活習慣の修行)の一つです。
戒は、心身を整え、悟りやすい性格になるための修行・トレーニングです。
トレーニングなので、許されるかどうかとはまた別の話です。
毎日筋トレしている人が、誰かを助けるために忙しく、1日だけ筋トレする時間がなかったとします。
誰もそれを責めたりしないでしょう。
でも、1日筋トレしなければ、筋肉にとってはその影響はゼロではないはずです。
少なくとも仏様の慈悲は、どんな人をも見捨てません。
しかし、仮に他人のためでも、嘘をつかずにすむ方法を模索する努力を真剣にやったのかどうかは、私たち自身の宿題として問われる、それもまた修行かもしれませんね。
お釈迦様だったら、たとえ他人のためでも、嘘はつかないと思います。
でも、お釈迦様だったら、嘘をつかずに上手く他人を救う知恵もあると思います。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまい申し訳ございません。
とても勉強になりました。
優しい嘘なら大丈夫と
決め打つのではなく、
臨機応変に自分の中で
考えることだったり、
つかなくてもよい方法を模索したり、
相手の事を思いやる気持ちを大切にしていきたいと思います。
回答ありがとうございました。