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故郷に帰るか、地元にお墓を建てるか

回答数回答 2
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先日、父親が亡くなり、諸事情により直葬をして、自宅にて簡易ではありますが、父親愛用の卓袱台にお骨、遺影、お花、形見、一通り供えて毎日手を合わせております。お葬式していないので、戒名もありませんし、健在の父親の兄の墓に入って良いと言われていましたが、お寺さんが、お葬式をあげて、戒名つけて檀家にならないと駄目ですとの事。もしくは、地元で故郷と同じ宗派のお寺さんで葬式をすませ、戒名を持ってくれば納骨できますと。なかなか、一筋縄ではいかないんだなぁと実感しました。また、故郷の別の健在の兄弟の一人が、〇〇は、うちらの墓には入れさせない!自分で墓建てて、そっちで何とかしろ!との事で、父親を良く見ていない人もいます。親戚には、故郷に帰らなくても、どこに墓を建てようが、お前の気持ちの問題だよと言ってくれる方もいて、悩みます。地元なら、気心しれた仲間もいるし、私も墓参りに行きやすい。いっそのこと、地元にお墓をたてようか!と思案中です。
どこに墓があろうが、心を込めて供養する気持ちが大切ですよね、、、と思うのですが、どうでしょうか?
良きアドレスがありましたら、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無宗教的な「供養」はご一考を

こんにちは、初めまして。

先ずは、お悔やみ申し上げます。お悲しみでしょう。
あなたのご宗旨が分かりませんのが、私は浄土真宗の立場で申し上げます。

「心を込めて供養する」というところがあなたのご相談のポイントです。
「供養」とは仏教語で、供養とは、そもそも「ものを奉げて回向(えこう)すること」です。日ごろ蓄えた良き行いと功徳を、故人に向かって奉げるということが回向であり、供養です。行い、発言、心が全て浄く整ってなければ実現できないのが供養です。我が宗派においては、「雑毒(ぞうどく)の善」、つまり煩悩という毒のまじった行いしかできないのが人間という位置づけです。このためあなたの立場で、仏教的な意味での供養は可能ではありません。

「卓袱台にお骨、遺影、お花、形見、一通り供えて毎日手を合わせて」とありますが、まずご本尊が足りません。ご本尊のないところで「手を合わせ」るということも浄土真宗的には不十分です。

お墓に関しては、仰るようにどこに建ててもご自由だと思います。

いずれにせよ、以上のような理由で無宗教的な「供養」は矛盾しており、私はお勧めできません(そもそも浄土真宗は故人への供養目的ではないのですが)。

手を合わせることの意味、ご本尊の有るなしの意味をこの機会に一度法話なり、仏教書を求めるなりご縁を深められてはいかがですか。その意味、良さに少しでも触れられれば、今後のお寺との関係、お墓の選び方も一定の方向性がでてくるのではないでしょうか。

ご参考になれば幸いです。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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地元にお墓を。

やはりお墓は
お参りできなくてはなりません。
近くにお墓を建てることが出来るなら
そうしていただきたいものです。

出来れば
評判の良いお寺さんと御縁を持って
仏教を聞く機会も増やしてほしいと思います。

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有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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質問者からのお礼

とても参考になりました。
手を合わせて拝めば良い、自分なりの考えが、本来の意味を成さない、矛盾してしまうことを理解し、少し仏教について知識を深めてみたいと思います。
どうもありがとうごさいました。

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