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閻魔様って、どんな性格何ですか?

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閻魔様って、どんな性格何ですか?優しいのは、知ってるんですが、他には、どんな性格や、特徴があるんですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんにちは。

 閻魔さまは、冠をかぶって、昔の中国の役人が着ていた服を着ています。
 恐い顔をしているのは、怒っているのではなくて、生きているみなさんが悪い事をしないように恐い顔をしているのです。本当は優しいのだと思います。でも悪い事をした人には厳しく接する勇気もあると思います。
 閻魔様は、亡くなった人が、次に何に生まれ変わるか判断する立場にあるので、きっと先入観を持たずに平等に接する事ができるのだと思います。

 閻魔さまは、悪い事をしても、ちゃんと反省してもうしないと決意すれば、許してくれます。「この人は今はいい人だけど昔はなぁ」なんて事は言わないのです。あなたも悪い事はしないように、またうっかり悪い事をしてしまったらもうしないように気をつけて生活してくださいね。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

自分を導いてくれる本当の閻魔さんに向き合う

閻魔様とは自分の心の中の本当の良心です。
ウソをついたり、悪いことをしたり、人が困るようなことをしたりするとき、
閻魔様は見ています。知っています。本当はそういうことをしちゃぁダメなのです。
誰から教わったわけでもないのに絶対にしちゃぁいけない事ってあるのです。
したとしても悪いことをしたなぁと罪悪感が生じます。
ご性格ですか?
優しいご性格です。なぜなら絶対にあなたや世の中が悪い方向にいかないように導いてくれているのですから。
ゼッタイにウソやごまかしがききません。
どんなに上手に言い訳をしても、不正や悪、ズルい事を見逃しません。
学校にも一人や二人おっかない先生がいたのではないでしょうか。怒っていたとしてもそれは導きです。生徒たちを悪いことをさせないように嫌われ役を買って「一喝」してくれていたのです。
お友達にもあなたが悪いことをするときに怒って止めてくれた人がいたのではないでしょうか、怒っていてもそれは友情です。やさしさです。
お父さんやお母さんもあなたが悪い道に向かうのではないかと心配してくれる時に方丈が守りの姿勢に変わるのです。怒っているのではありません。愛する家族が悪い方向へ行かないように守ってくれるから怒りの表情にも見えてしまうのです。
人類には誰にでもこの閻魔様が本心として、存在しています。
理知的に申し上げれば、作用として、はたらきとして備わっているのです。
生きている間も死後もその人を絶対に悪さをさせないように導いてくれているのです。生きている内には良心として裁きをします。どんな裁判も悪いことが起こらない内に裁かれれば、人は悪に向かいません。死んだ後にもきちんとした裁き、裁かれが必要です。どんな凶悪犯でも悪く裁かれますと、その凶悪なことを良いと思ってしまうような裁き、判断、導かれが起きてしまいます。そうするとひどい事でも良いことだとみなされて世の中が乱れます。だから悪いことは悪い事として二度と起こらないよう、亡くなった本人も遺族もこの世で残っている人たちにも共通でうなづけるような審判・裁かれ・導きが必要なのです。
クラスでひどい事件が起こった時、本当に立派な先生がいればみんなが納得できる方向へ導いてくれるものなのです。世の中に必要なのはそういう人です。
ぜひ閻魔様を縁としてそういう善導する精神を持とうと発願して立派な大人になってください。閻魔より

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

はい!

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