回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。
閻魔さまは、冠をかぶって、昔の中国の役人が着ていた服を着ています。
恐い顔をしているのは、怒っているのではなくて、生きているみなさんが悪い事をしないように恐い顔をしているのです。本当は優しいのだと思います。でも悪い事をした人には厳しく接する勇気もあると思います。
閻魔様は、亡くなった人が、次に何に生まれ変わるか判断する立場にあるので、きっと先入観を持たずに平等に接する事ができるのだと思います。
閻魔さまは、悪い事をしても、ちゃんと反省してもうしないと決意すれば、許してくれます。「この人は今はいい人だけど昔はなぁ」なんて事は言わないのです。あなたも悪い事はしないように、またうっかり悪い事をしてしまったらもうしないように気をつけて生活してくださいね。
自分を導いてくれる本当の閻魔さんに向き合う
閻魔様とは自分の心の中の本当の良心です。
ウソをついたり、悪いことをしたり、人が困るようなことをしたりするとき、
閻魔様は見ています。知っています。本当はそういうことをしちゃぁダメなのです。
誰から教わったわけでもないのに絶対にしちゃぁいけない事ってあるのです。
したとしても悪いことをしたなぁと罪悪感が生じます。
ご性格ですか?
優しいご性格です。なぜなら絶対にあなたや世の中が悪い方向にいかないように導いてくれているのですから。
ゼッタイにウソやごまかしがききません。
どんなに上手に言い訳をしても、不正や悪、ズルい事を見逃しません。
学校にも一人や二人おっかない先生がいたのではないでしょうか。怒っていたとしてもそれは導きです。生徒たちを悪いことをさせないように嫌われ役を買って「一喝」してくれていたのです。
お友達にもあなたが悪いことをするときに怒って止めてくれた人がいたのではないでしょうか、怒っていてもそれは友情です。やさしさです。
お父さんやお母さんもあなたが悪い道に向かうのではないかと心配してくれる時に方丈が守りの姿勢に変わるのです。怒っているのではありません。愛する家族が悪い方向へ行かないように守ってくれるから怒りの表情にも見えてしまうのです。
人類には誰にでもこの閻魔様が本心として、存在しています。
理知的に申し上げれば、作用として、はたらきとして備わっているのです。
生きている間も死後もその人を絶対に悪さをさせないように導いてくれているのです。生きている内には良心として裁きをします。どんな裁判も悪いことが起こらない内に裁かれれば、人は悪に向かいません。死んだ後にもきちんとした裁き、裁かれが必要です。どんな凶悪犯でも悪く裁かれますと、その凶悪なことを良いと思ってしまうような裁き、判断、導かれが起きてしまいます。そうするとひどい事でも良いことだとみなされて世の中が乱れます。だから悪いことは悪い事として二度と起こらないよう、亡くなった本人も遺族もこの世で残っている人たちにも共通でうなづけるような審判・裁かれ・導きが必要なのです。
クラスでひどい事件が起こった時、本当に立派な先生がいればみんなが納得できる方向へ導いてくれるものなのです。世の中に必要なのはそういう人です。
ぜひ閻魔様を縁としてそういう善導する精神を持とうと発願して立派な大人になってください。閻魔より
質問者からのお礼
はい!
はい!