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亡くなった主人に会いたくてたまらない

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二度目の投稿です、以前、主人が亡くなって26日目ですというタイトルで相談させていただきお二人のお坊さんから、目には見えなくても、あなたが想うとき必ずご主人は優しい眼差しであなたを見守ってくれています四十九日が過ぎても、ずっとそばにいてくれますよと回答いただき涙が溢れ心から嬉しくありがたく思いました、でもまた私の心は揺れています、毎日、時間ごとに分刻みに揺れ動きます、大変失礼な言い方だとわかっているのですが、お坊さんだって生きている人間なのにどうして亡くなった人がそばにいるとわかるのでしょうか?大切な人を亡くしてしまったらそのようにおもわなければ生きていけないから、そういう考え方をするんでしょうか?わからないんです、いくらそばにいてくれると思っても私には見えないし声も聞こえない何も感じない主人と出会って30年以上、今年の6月は結婚28年目でした、今思えば不思議なことに去年の結婚記念日には私が初めて手作りのケーキを作り、その前の年は主人が初めて、いつもありがとうと書いたケーキを買ってきてくれました
そして娘がお腹にいる時の日記を読み返していたらなんの記念日でもないのに3月13日パパがママにピンクの花を買ってきてくれましたと書いてあり3月13日は主人の命日です、それと私はブラックなコーヒーが大好きだったのに主人がいなくなってからそれが突然飲めなくなり主人の好きだった甘い缶コーヒーを毎日飲んでいます、出会ってからずっと会えない日もあったけど声を聞かない日はなかったので亡くなってからずっと声が聞こえない手を握れないのがたまらない毎日作っていたお弁当はキッチンに置いたままです、失礼な質問かもしれませんがどうか教えて下さい。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

亡き人に「遇う」

ご相談拝読しました。長年連れ添った最愛のご主人のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

あなたの疑問に思う気持ちは失礼なものではありません。当然の疑問です。そしてその疑問をごまかさずに問い続けることを通して、本当に亡き人と「出遇う」とはどういうことかを明らかにしてほしいと願います。

夢に出るとか、見えないけど霊や魂がそばにいるとか、そういうなんとでも言えるもので自分を無理に納得させなくてよいのです。

おっしゃる通りお坊さんも人間ですから、人が死後にどうなっているかは実際には分かりません。確認もできません。

ならばお坊さんが「亡き人はずっとそばにいますよ」とはどういう意味か。それは

①亡き人本人が死後どうなっているのか
②亡き人を今生きる私たちがどのように見出していくのか

この②の問いから確かめられるものです。そして②を通した時にはじめて①についても確かなものとして見出され得るものであると私は考えます。

亡き人にはもう生前同様に触れる事も、話すこともできません。しかしはからずも遇うことがあるのだと思います。

最初の方に亡き人に「出遇う」と書きましたが、「会う」と「遇う」は違います。

「会う」とは、約束して会う。会おうと思って会えるもの。
「遇う」とは、はからず、思いがけず遇う。

亡き人には「遇う」のです。亡き人の願いや、亡き人からのはたらきかけに遇うのです。
願いやはたらきかけとは、超常現象や夢ではありません。具体的にはあなたの今感じている寂しさや不安や悲しみです。時にはご主人との思い出により温かな気持ちになることもあるでしょう。

それらは全てご主人から、そしてご主人の死からあなたがいただいたものです。もうあなたにとってのご主人はあなたの感じるものを離れてはいないのです。それがそばにいるということ。

それだけではありません。「死んだらどうなるのか?」この問いもご主人からいただいたもの。そして「人は必ず死ぬ」この厳しい事実もご主人からの投げかけです。
ここにご主人の成仏があります。成仏とは仏様に成ることですが、仏様とは本当のことを教えてくれる存在のことです。

あなたにとってご主人が仏様と見出された時、①の問いについてもけして暗いイメージや虚無論は導かれないでしょう。

すぐには受け入れられないと思います。何度でもご質問ください。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

遇えますよ!大丈夫。

ご質問拝読しました。
おっしゃることは、
ごもっともだと思います。
愚僧は阿弥陀さまを
お祀りしていますが、
阿弥陀さまのお姿は、
本当はどんな御姿なのか?
わかりません。
悟ったかた、如来さまですから、
色もなく姿もなく形もない、
光の集まりが本当の姿かも
しれません。
しかし、
愚僧にはそんな姿を、
拝んでも誰だかわかりませんから、
後ろに後光を引っ提げて、
お立ちになった御姿を、
御仏像にしています。
こちらさまを目当てとして、
苦しい時も、
悲しい時も、
嬉しい時も、
幸せな時も、
報恩感謝のお勤めをしてから、
愚僧は心で語りかけていますよ。
語りかけていると、
何だから御返事を返して、
いただいているように感じ、
特に何かを望んでもいませんが、
本当に心穏やかになります。

あなたには、
御目当てとなるご主人さまの、
御写真があるじゃないですか?
毎日毎日、
おはよう!
お休みなさい!
今日はこんなことがあったのよ。
と語りかけてみてください。

心の中にご主人さまの
声なき声が沁み入ってきますよ。
少しづつ、少しづつ、
甘いコーヒーはご主人の嗜好
ですよね?
あなたの中に
ご主人さまの気持ちが、
沁み入って
きているじゃないですか?

御供養とは、
おもてなしのこころです。
ご主人さまがして欲しいと、
思うことをして差し上げる。
その時には、
あなたの心の中に、
ご主人さまが
生きていらっしゃるのです。

そして、
ご主人さまの分まで、
長生きされて、
ご主人さまの分まで、
幸せに生きる。

これがご主人さまのお望み
のように愚僧には思えます。

どうかご自愛されて、
お幸せにお過ごしくださいませ。

ご多幸をお祈りしています。

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浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

妻を看取り、彼女を失った出来事から。

お早う御座います。

私の母も、祖母も感じ取れるものがあります。私も同様です。目に見える事は信じられ、目に見えない出来事は信じたくない・・と思うのが人は当然だと思います。

妻を病気により看取り失いました。生前、夢にでも現れたらパパは必ず私を追ってしまう。だからどんな事があっても夢にもお化けにでも私は現れないと言っていました。その数年後、登録派遣の職場で出会った方が過去に生きる私を取り戻させたい!と子ども達をだけでなく、答えが出せない私を必死に支えてくれましたが、それでも良ければ・・と答えを出した数日後に震災で失いました。その彼女は夢にも幻かと思う程、現れました。そして、私だけでなくご家族の夢や前にも現れました。彼女の母は、私が気が狂ったのか・・と思っていたそうですが、妹様の前にも現れ、夢にも出てきたそうです。私ならきっと・・そうお母様方は思ったそうです。私が空に舞った場所だろうその地にお母様と妹様行って、大きな気づきを与えて頂け、心から彼女にお詫びをしてもう過去に生きず前を向くと約束をしました。それから・・その様な事は私を含めて一切起こらなくなりました。

こう言う出来事もあるのです。人は亡くなられたら終わりではなく、さらにその先があります。共に泣いて想いに寄り添い・・思い切り泣いて。そしてそれぞれが新たなストーリーを歩み出すのです。それぞれがその描いたストーリーを歩んでいても、心から手を合せれば側に来てその姿に微笑んでくれます。思い続けることは良い事です。ですが、未練という綱をいつまでも繋いだままだと新たなストーリーを歩み出せません。愛しているのであればこそ、心の整理がついた時に解き放って上げて欲しいです。そして、生まれ変わりはあると思います。お会いする方々は全て繋がりがあります。私たちは、念前年と続く先人方や父母の願いや想い、生きた証なのです。そして未来に繋げていくのです。純粋な心や想いは時空をも超えて届きます。目には見えなくても、姿や形はないけれども・・側にいるのです。

辛い時、苦しい時はいつでもここに来てください。

旦那様に心から・・南無大師遍照金剛

合掌 礼拝

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皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、悩みを相談し気軽に参拝出来る”心のよりどころ”であって欲しい・・・その願いを叶えさせて頂きました。仏縁を頂き真言宗の小さな手作りのお寺を開山させて頂き4ヶ月が過ぎました。妻を脳腫瘍で看取り、東日本大震災で彼女を失い、父を心筋梗塞で看取り、障がいのある長男と健常児の次男を育てる父子家庭の父、押し寄せるこれでもか!と来る障害。・・どうにかなるさ!と思考を変え、今日に至っております。一切衆生をお救いする事、それは経験させて頂いた出来事があるからこそ、その痛みがわかるからできるのことです。迷わず、負けずぶれず道一筋に、あなたの希望ある光輝く人生を楽しめますように。濃霧も時がたてば天晴の如く見通しが良くなるように人生の羅針盤となり皆様に寄り添い、慈悲の回向の光を届けさせて頂きます。 開かれたお寺と志を忘れないよう挑み続けます。合掌 礼拝

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