生きたくも死にたくもない
選択するのも執着するのもキツく感じます。
生きることにも死ぬことにも執着しないようにするにはどうしたらいいでしょうか?
生きることにも死ぬことにも執着していない人はどんな風に生きているのでしょうか。
飛びつく心の場がないのは難しくないですか?
そもそも執着なんてできてないのかもしれませんが、コロコロ変わっていく心も煩わしいです。
本当に為すべきことなど有りはしないだろうのにいろんな生き物がいることに謎を感じます。
誕生とともに救われて生まれてきたということは可能ですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
具体的に考えましょう
こんにちは、初めまして。
様々なことをお考えのようですね。
過去にも種々の質問をされているのを拝見しました。
今回の問いを見るに、言葉と問い全体が抽象的に感じましたので、もうちょっと具体的に考えてみませんか。
「選択するのも執着するのもキツく感じます」とのこと。
あなたは、今日ご飯を食べたと思います。
美味しそうなご飯を目の前にしてこれを食べたい、という執着が起きたでしょう。
外食に行けば、メニュー表を広げてこれが食べたいという、選択と執着をするでしょう。その選択と執着は、あなたにとって心地のいいものではないですか。そもそも執着が有る=生きている現実なのだと思いますがいかがでしょう。食べる(或いは食べたいものを食べる)という選択と執着を手放すことは出来ないと思います。
こう考えると「生きることにも死ぬことにも執着していない人はどんな風に生きているのでしょうか」というのは、問い自体が矛盾しています。執着しない=生存できないということですから。つまり、成立しない問いです。
抽象的にではなく、具体的に考えることが今のあなたにとって必要だと思います。種々の問いも、そうやって考えると方向性が見えてくるのではないでしょうか。
ご参考になれば
質問者からのお礼
なるほど、自分に選択と執着があまり苦にならない具体的な分野を見つけてそれに集中すればいいかもしれません。
生存はしていないといけないものなのでしょうか。
参考になりました。ご回答ありがとうございました。
生きるも死ぬも結構どうでもいい気がします。