hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

両親への歪んだ依存に悩んでいます。

回答数回答 2
有り難し有り難し 14

はじめまして。20代の男です。

私が幼い頃から両親の仲が悪く、毎日喧嘩が絶えない家庭でした。
母はアルコール依存症で絡み酒が酷く、父は浪費癖と浮気癖が酷かった様です
(酔った母の愚痴が主ですが、そうとうな嫌がらせをされていたのは真実だと思います)。
毎日両親の喧嘩を仲裁し、めずらしく喧嘩が起こらない日も、母の酔った時のヒステリックな愚痴を聞いたり、
不機嫌になっていく父親を見てまるで生きた心地がしない日々を送っていました。

そんな影響か、小さい頃から他人が苦手で、小中学校で不登校を経験しています。
不登校になった理由は、閉鎖的な空間で他人の顔色を窺う事や、他人に自分を合わせる事、
それでボロが出てしまう事、そして何よりも怒られることや、
誰かが怒られている場面に遭遇することがとても怖かったからです。
これらは現在でも恐怖を感じ、そういった場面を避けてしまいます。

現在は就職活動をしてなんとか内定を貰えましたが、同時にこのまま生きている事に意味を感じなくなってしまいました。

昔から現在まで両親の顔色を伺い、なんとか仲を取り持ち、歪んでいると理解しながらもそれを生き甲斐にしてきましたが、苦しい状況で父が身内の借金を肩代わりし、一度収まりかけていた母の飲酒が始まってしまいました。
現在母は肝硬変まで悪化し、それでも酒を辞めずに毎日大きな声で暴れ。父は昔から見たら角が取れて喧嘩に発展することはなくなりましたが、
それでもやはり雰囲気が悪くなってしまいます。離婚をするという話も出ていますが、結局高齢の母は一人で酒を飲み孤独死は免れません。そしてそうなると、私の存在理由をすべて否定される様でとても苦しくなります。
私自身、もう大人になり親離れをすべきだと思いますが、物心付いてから家族と仲よく過ごすことが生きる上での夢であり目標だったので、
他に生きる意味を見出す事が出来なくて困っています。

もちろん生きる目標がなくても生きていく事は出来ますし、今は仕事も見つかりなんとか一人でも生きていけると思います。
しかしそれが逆にとても強い罪悪感に苛まれてしまいます。
何度か自殺をしようとしましたが、失敗や躊躇し頑張って生きようと考えていましたが、
結局同じことの繰り返しになります。

何か生きやすくなるためのヒントなどを頂けたら幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生は自分のものです。

つらい経験をされてきたのですね…。
ひとつ、お伝えしたいことがあります。
ご両親について、ご心配される気持ちはとてもよくわかるのですが、いくらご両親とはいえ、あなた自身ではありません。なので、自分の思い通りに動かすことはできません。つまり、心配してもしょうがないのです。
だから、ご両親の身に何かがあっても、ご自身の生きる意味はなくなりません。自分の生きる意味は、自分の中にあるものだからです。
ご両親も、それぞれに人格があり、それぞれの人生を生きています。身を持ち崩してしまったり、身体を壊してしまったことは確かに心配ですが、それを持ち直すことができるのも、本人たちだけなのです。
冷たいようですが、両親が亡くなったからといって、自分の生きる意味はなくなりません。むしろ、両親の縁から生まれた自分が、その思いを繋げて生きていくのなら、亡くなってからが本番なのです。

自分自身の人生を、独立して歩くことに、罪悪感など必要ありません。むしろ、独立独歩していくことが、ご両親やご先祖さまへの感謝を表すことなのではないでしょうか。
いずれ、ご自身にも家族ができる時がくるかもしれません。その時に、自分の子供がこのように苦しんでいたら、どう思うでしょうか。
自分の道を見つけ、そこを堂々と歩んでいくことが、人生の幸せのひとつなのだと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

佐山拓郎
浄土宗の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間のサラリー...
このお坊さんを応援する

生きる意味が一人ひとりあるのです。

初めまして、お早う御座います。

生きる事の意味は、こちらから追いかけなくても自ずと現れて来ます。そして、ひとり一人が何千年と様々な困難を幾度と乗り越えて来た先人達や、父母の願いや想い、生きてきた証が私たちなのです。

誰もが生まれて来る時に必ず仏心と一つは良さを持って、この世に生まれて来るのです。育った環境などによりそれらが薄れてしまったりするのです。どんなに悪どい過ちを犯してしまった人にもそれらがあるのです。

人生も、運命も自分自身もいくらも変えられる事が出来る事を私は実体験をして来ました。順風満帆な人生から絶望に嘆き苦しむ人生に突き落とされて、這い上がっても何度も突き落とされ、それらに負けてしまった事があります。追い込まれもう駄目だ・・と命も絶った事があり蘇生をされて、よりもがき苦しんで・・それから思考を変えて、乗り越えて来ました。

結果をすぐに求めようとしたり、周りに無理に合わせようとしたり・・その場、その場で顔を作ったりせずに、枠に留まる事なく自分は自分で良いのです。そう思った瞬間、しかめっ面から自分らしさを取り戻しました。どんなに恨んでも、憎んでも親が居てくれ育ててくれたから、今の自分がいるのです。生きていく中で、煩悩や我、欲というものに捕らわれて心を奪われてしまう事もあります。大切な気づきを与えて頂け見せて頂けたのです。決してマイナスではありません。時に許す努力と勇気も必要です。過去でもない、訪れていない出来事をふと考えると・・不安や心配になります。それよりも・・二度とないこの今を自分らしく辛い時だからこそ笑顔で過ごして欲しいです。どんな事でも、時が留まる事なく動いているように困難な出来事も動き出します。一気に問題を片そうとせずに・・一つずつ丁寧に片付けて行ってください。

居心地のいい場所があると思います。それと同じように、居心地の良い家は誰にでも作れます。お母様もそれだけ追い込まれてしまった出来事あったと思います必ず物事には何らかの原因がなければ起こらないのです。お母様の心と寄り添って思いに頷いて共感をして見て下さい。私を理解してくれている!と安心が出来ると思います。ご縁がありこの家族と巡り会えたのです。ご家族が笑顔でそれぞれが本来の姿に戻れることを願っており祈っております。苦しいときなどはいつでもここに来てください。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

佐山拓郎様
御回答ありがとうございます。
確かに両親と私は別の存在であり、それをどうにか思い通りにしようとすること自体おこがましい事でした。この年になっても親のせいにし続ける自分自身にも嫌気がさしますが、やはりまだ完全に”そういうもの”だと割り切ってしまう事は難しいと感じています。こうなってしまったのは親だけの責任では無いとわかっていても、”私の幸せを捻じ曲げ、生きづらくしたのは親の責任だ”という甘えが憎しみの根本にあるのかもしれません。実際に両親を縛り付けて苦しい思いをさせているのは私自身だとも考えられるようにもなりました。まだ独立して行く恐怖を完全に消すことは不可能ですが、いつか両親に、心の底から生んでくれてありがとうと言えるようになれればと思います。
ありがとうございました。

永寛様
御回答ありがとうございます。
「何故私なんて産まれてしまったんだ」と後悔する毎日で、恥ずかしながら感謝の気持ちなど考えてもいませんでした。確かに歴史を紡いで来た結果の中で私が存在しているのですから、それを考えると凄く自分の存在に誇りが持てるかもしれません。自分らしさというものを見失い、本当は何がしたいのかという事もいつの間にか忘れてしまっていました。がむしゃらに問題を解決しようとして、結果的に先延ばしになり、状況を悪化させてしまった責任は私にもあります。ただ苦しみにあえぐより、少しずつでも問題を解決して行き、その中で生きる意味を見つけて、生きやすくなれるように前に進んで行きたいです。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ