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考え方について

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有り難し有り難し 29

以前自分がこのhasunohaで悩みを聞いてもらったことをきっかけに仏法について興味が出てきました。
そこで質問なのですが、僕はこのコロナの自宅自粛がきっかけで自分のことについて振り返ることが多くなり、以前質問させていただいた自分の過去の罪の後悔などさまざまなことを思い返します。もちろんその罪については以前に答えていただいた通りに自分の中でけじめをつけました。
しかし、自分は仏教のことについて正直疎くてまだわからないことがあるのでもう一度相談させてください。
仏教において過去の罪や後悔についてなどどのような教えや解釈がなされていますか?
文章力がなく申し訳ございません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無始以来の罪

仏教における罪とは具体的には罪業(ざいごう)です。業とは行為という意味であり(行為の後の影響力・余勢も含む)、身業・口業・意業の三つがあります。

身業とは為す事、口業とは話す事、意業とは思う事ですね。この三業について罪業があるわけですが、具体的には

身業:殺生・偸盗・邪淫
口業:妄語・両舌・悪口・綺語
意業:貪欲・瞋恚・愚痴

の十悪業が挙げられます。

あなが後悔している過去の罪という出来事もこの中のどれか、又は複数にカテゴライズできるかと思います。

してしまった行いを懺悔し、これからの自分に活かし、もう悪業為さないように心がけるという在り方は仏教でもスタンダードかとは思いますが、人間の現実を見つめる眼としては少し浅いのかもしれません。

もっと深めるならば、なぜ悪業をしてしまうのか?それをつきつめると結局は根本煩悩である「無明(むみょう)」に行きつきます。「無明」とは「真理に暗い=本当のことを知らない」というような意味です。

それはこの私が生まれてからどうこうという程度のものではなく、私に至るまで生まれ変わり死に変わりを繰り返してきたけれどもついには迷いを出ることがなく今に至っているという自覚です。

私がしてしまったことは、私が生まれてからの行いをどうにかすることでせずに済むようになる程度のものなどではなかったという深さです。これを「無始以来の罪」ともいいます。「無始」とは「いくらさかのぼっても果てしがなく、始めがないこと。 転じて、無限に遠い過去。 大昔。」という意味です。

そのくらい私たちの迷いは深いのです。自分の頭でちょっとやそっと悔い改めてどうにかなるものではありません。

あなたがしてしまったことは煩悩・迷いの表面的な表れであり、根本的には縁さえととのえばどんな悪業をもしでかし得るという可能性をはらんでいるものなのです。

だからこそ、私たちは自分の力でどうにかするのでなく、教えを聞きます。あなたも今回仏法に興味関心をもったということは、本当の意味で自分を明らかにし、救われたいということでしょう。

過去も未来も今のあなたの中を流れています。

今、あなたが仏法により自分を明らかにされることで、過去の後悔や罪は無くならずとも、その事実を引き受け、そして活かしていける道が開けることと思います。

共に学びましょう。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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気づきを与えられ、それをいかに反省をして活かすのか・・

お早う御座います。

私たちは、気が付かぬ内に過ちを犯してしまったり、気が付いていても犯してしまう事があります。私は過ちを犯したことがない!という方は誰もいないのです。その事に気付きを与えてくれます。その気付きを受け止めて、反省をして・・繰り返さぬように努力をして行くのか・・それが大切だと思います。

私が毎朝晩と、お経をお唱えさせて頂く際に・・密厳院発露懺悔文(みつごんいんほつろさんげ)をお唱えさせて頂いております。私自身だけでなく生きる全ての過ちを相変わり懺悔させて頂いております。決して、地獄に落ちるなどありません。ただし、生きる私たちは・・目に見える出来事は受け入れられますが、これだけ文明が発達した今でも、目には見えない法則が御座います。見返り無く善き事を純粋にされていると・・不思議とそのような人生を歩めます。逆に、不平不満ばかり口にして、その様な行動を取っていれば・・その場は良いかも知れませんが、その行いは必ずいつか回りまわって自分の元に返って来るのです。

間違えた行動、犯してしまった過ちに折角、気づきを与えて頂いて・・それらを気づかぬ振りをしていればいつかは何かしらが必ず返って来ます。あなたはとても大きな気づきを与えて頂け、自分を変えられるチャンスを与えて頂けたのです。それらをプラスに変えて、善き事を無理なく出来る範囲で周りにお返しをしていって欲しいです。人生も運命も自分自身もいくらでもリスタート出来、変えられるのです。

あなたには、あなただけにしかない良さがあります。その良さを活かしてあなたらしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますようにお祈り致しております。

合掌

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おきもち

永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分は気づきを与えられたと思ってこれからは生活していき少しずつ周囲にお返ししていきたいと思います。そして僕らのために代わりに懺悔していただいていることを感謝いたします。

吉武文法様もご回答ありがとうございます。
自分のしてしまった罪は消えないと思います。ですが後悔してばかりでは前を向けないと思うのでこのことを活かして生きていこうと思います。
本当にありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ