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結縁灌頂に関して

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

こんにちは。
初めて質問させていただく者です。

2つ質問があります。
今年私は高野山で結縁灌頂を受けさせていただきました。仏様と縁を結べたことは大変ありがたいのですが、その後の自分がそれに適う生活ができているか、正しい道を歩めているか疑問です。自分の良く無いところがどうしても出てしまいます。果たしてこんな自分でも仏様との縁を保ち続けることはできるのでしょうか。
また、仏様と一体となったと伺ったのですが、これは即身成仏とどんな関係があるのでしょうか。

初心者の質問で恐縮ですがご回答いただけましたら幸いです。

2025年11月5日 18:25
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その問いそのものが、すでに仏さまと共に歩んでいる証

とても大切な問いです。
結縁灌頂を受けた後に「自分はふさわしい生き方ができているのか」「仏さまとのご縁を保てているのか」と思い悩む
その問いそのものが、すでに仏さまと共に歩んでいる証です。

1. 「仏縁」は切れるものではなく、深まるもの
結縁灌頂とは、密教における「仏と縁を結ぶ大きな入口」です。
灌頂の壇上で仏さまに縁を結ぶというのは、仏さまがあなたを弟子として受け入れてくださったということです。

ですから、「自分の心が弱いから縁が切れる」と思う必要はありません。
たとえ迷いや怒り、愚かさが出てきても
それを「これも私の姿だ」と気づくたびに、仏さまはその気づきを通してあなたの中に息づいておられます。
仏縁は“保つもの”ではなく、育てるもの。
日々の生活の中で、「あ、これは仏の教えに背いているかもしれない」と気づける心が、すでに修行の第一歩です。

2. 「仏と一体となる」とは即身成仏の入口
結縁灌頂で「仏と一体になる」とは、
“あなたの中にある仏性(ぶっしょう)”と仏さまの慈悲が通じ合うという意味です。
密教では「即身成仏」
この身このままで仏になれる、と説きます。
それは、遠い未来の理想ではなく、
今ここで、仏と同じ心で生きようとする瞬間にすでに始まっています。

つまり、灌頂で体験された「仏と一体になる」は、
即身成仏の“種”を授かったということ。
その後の生活は、その種に水を注ぎ、日々育てていく時間なのです。
心が揺れる日々もまた、成仏への修行の一部です。

3. 「適う生活」とは、完璧な生活ではない
仏道とは、清らかでい続けることではなく、
“迷いながらも戻ろうとする姿”そのものです。
善悪の判断に迷ったとき、
「この行いは、誰かを苦しめていないだろうか」
「この言葉は、優しさにつながっているだろうか」
そう問い直すことが、日常の実践です。

4. 最後に
結縁灌頂で授かったご縁は、消えることなくあなたの中に息づいています。
どうか焦らず、「日々を丁寧に生きること」そのものを修行として受け取ってみてください。

合掌

2025年11月6日 14:31
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有り難し
おきもち

個別相談可能
仏教×対話×ビジネス。僧侶・理学療法士・プロファシリテーター。死生観から整えるコンサルタント。仏教と対話で導く、リーダーのための内省と再構築。ビジネスという営みを通じて、人が本音と出会い、本来の個性で生きる場をひらいています。 ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください
職業柄、人生相談はこれまで多数受けてきました。 ぜひご自身の本音を出してください。向き合ってください。私は伴走させていただきます。 理学療法士でもありますので、これまで急性期から終末期まで患者さんを担当。 町の診療所から在宅までキャリアを築く。2歳から108歳まで患者さん担当。 また、コンサルタントでもありますので メンタルヘルスから新規事業、マネジメント、チームビルディングまで相談並びに研修対応可能。 現在、顧問契約募集中!

仏さまとのご縁は、迷うたびに深まっていく

ご質問いただきありがとうございます。
高野山で結縁灌頂を受けられたとのこと、心よりお慶び申し上げます。
仏さまとご縁を結ばれたことは、まさに人生の尊い節目です。

さて、まず初めに申し添えますが、
私自身は、真言宗の僧侶ではございません。
ですので、もし教義の解釈や表現に誤りがございましたら、
真言宗の方がいらっしゃれば、どうぞ私の代わりに正しくお補いください。
ここでは一僧侶として、お伝えさせていただきます。

結縁灌頂は、仏さまとご縁をいただくための尊い儀式です。
けれども、これは「完璧な自分になるための儀式」ではなく、
「仏の心に気づき、それをこれから育てていくための入り口」だと思います。

akanaさんが、結縁灌頂のあとに「こんな自分でいいのだろうか」と思うのは、
むしろご縁をいただいた方だからこその気づきです。
迷いや弱さに気づける心そのものが、すでに仏さまとのご縁の中で働いている証だとおもいます。

そして、結縁灌頂と即身成仏との関係について考えてみますと
結縁灌頂は「仏の世界の門を開く」ことであり、
即身成仏は「開かれた世界に向かって歩み続ける」ことなのではないでしょうか?

すなわち、
即身成仏は“ご縁を実践で深めていく道”。

「今日の一日を丁寧に生きること、誰かを思いやること、間違えたことに気付くこと、そしてまたやり直そうと思うこと。
その一つひとつが、すでに仏とのご縁から生まれた世界への歩みなのではないでしょうか?

仏さまは、貴方が完璧であることを望んでおられるのではなく、
迷いながらも、仏さまの方へと向き直るその姿を見守っておられると思います。

どうかご縁を疑わず、
「どんな私であろうとも仏さまとともにある」と信じていてください。
ご縁は切れるものではなく、生きながら確かめていくものだと私は思います。

迷うことも、立ち止まることも、仏さまとご縁を重ねる道の一部です。
どうか焦らず、今の一歩を大切にしてください。

2025年11月6日 15:05
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有り難し
おきもち

山の中の小さなお寺の住職と児童福祉施設で働いております。 毎日いろんな出来事がありますが、そのたびに、「仏教って、生きる力そのものなんだなぁ」と感じる瞬間があります。 ハスノハを始めたのは、友人の僧侶が青空説法で、人の悩みにまっすぐ寄り添っている姿を見たのがきっかけでした。 「自分にも、こんなふうに誰かの心に光を届けることができないだろうか」 そんな思いから、この場に身を置かせてもらっています。

質問者からのお礼

ご回答頂きました方々懇切丁寧な回答をありがとうございました。
肩の荷が降りたような感覚になりました。あまり考えすぎず、日々を丁寧に、感謝の気持ちを持って生きようと思います。

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