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功徳と回向について

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最近、大乗仏教における功徳と回向をよく考えるのですが、釈尊は慈悲と智慧だと仰っていたと思いますが、原始仏教ではなく現代のお寺様は何が1番の功徳になり得ると思いますか?1番とかを考えるのはあまりしない方が良いとは思いますが、何が良いのかを考えてしまいます。

2025年11月29日 12:19
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

なによりも菩提心ですな

マリオさんこんにちは。
私は若い頃から仏教と言えば、悟りだ、涅槃だ、智慧だ、慈悲だと思って、ずっとそういったものを求めてまいりました。
ですが、それは結局、自分が悟って終わりになると感じました。
なぜ、祖師方が菩提心菩提心というのかが長年謎でした。
「菩提心をおこすというはおのれいまだ悟りや涅槃に到らずとも、先に世の一切衆生、人々を救い、導くこころである。」と。
そういう言葉が曹洞宗でよく読まれる修証義に書いてあるんです。
ちょちょちょチョット何言ってるかわからない。q( ˘ω˘ )p状態でした。
どうして、自分が悟ってもいないのに人を導けるのか。
ですが、世界を見回してみて下さい。
智慧だ、慈悲だ、いいことです。どんどん、智慧や慈悲を形にしてシェアしてみて下さい。

すくいということは、自分が救われたら、それでおしまいというものであってはいけませんよね。だからこそ、回向。廻らし向ける。その功徳を人々にどんどん廻らし向けるべきなのです。
とととところが。
おおよそ大きな組織というものの具体的な説法、布教、法施、回向のアクションが私は物足りなく感じたのです。
お坊さんの世界とは言え、必ずしもみんなガッツリ宗教心をお持ちの方が多いかと言えば、実際そうでもないと感じることもしばしばありました。
なぜだろう。
世界はもっと救いを求めているのに、どうして宗教業界、仏教業界はもっと救いのアクションが怒らないのだろうか。
若き青年僧一本足りない凡下は疑問を感じました。
ある時、ひょひょひょひょっとしたら、宗教業界だからといっても宗教心があるのだろうか?という問いにぶち当たりました。ひー
その結論は、大きな声では言えませんが、人は人、自分は自分、自分がきちんと菩提心を持っているかどうか。道心があるかどうか。きちんとした信仰心、宗教心、人間性を高める向上精神を持っているかどうかが大事なのだと思いました。

発菩提心。
悟っても、隣のおばちゃんは救われねーんだ。(´ー`)じゃぁ、その悟りをもっと一般人にも分かるように広めるには何が大事なのか。チエ、慈悲。うーん、ちがうな。
やはり菩提心だ。
菩提心とは天地も衆生も石ころも、救う心。
宇宙をも救う心をおこすことぢゃ、と明治の禅僧は言います。
そんなことできっこないじゃないか。
いいえ。
その心があれば一切衆生尾を救う働きが起こるのです。

2025年11月29日 17:38
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三宝を見つける

三宝の気づき、ですかね。
あくまで「現代日本に生きる私」としての意見をお求め、と読ませていただきました。
 三法とは、原来「仏、法、僧」ということですが、生活に落としてみると「願い、理屈、同胞」ということと理解しています。更に具体的に言うなら、「理想を持つ、そのための指針を持つ、周りの人と共にあゆみ成長していく」ということです。
 「一番」をお求めのようですが、それは「他を差し置く」ということに近いでしょう。しかし世の中が因縁によって動いていく以上、単独の何かを指摘することはできないし意味がないと思います。
◯自分の(とりあえず今の」願いを明確に持つ。
◯そのために心がける指針や理屈を持つ
◯お互い、願いを持った同行者としての視線を向ける
 それらが揃うと、自ずから為すべき具体的行動が定まってくると思いますよ。
 逆に、「自分にとって、この行動が三宝に叶うことなのだ」という肚おちがあれば、安心して行動できると思います。

ただ不思議なことに、三宝に叶っているか否かは、その道を歩んで行かないと感じられないことが多いです。前回の問い=お念仏が称えられなくなった、も拝読しましたが、その時のご自身がどうであったか…三宝が見えていたのか?を思い出してみるのも、良い試みだと思いますよ。

「お礼」欄の書き込み、ありがとうございます。「何が供養になるのか」を聞きたいのだろうな、と感じていました。回向は仏様のはたらきですから、「私たちの何か功徳のある行いが、(本来は自業自得となるはずだけれど)仏様によって回向され、個人の供養になる」という文脈です。
 南無阿弥陀仏は、「極楽の方は、仏様の一員として、我々に南無阿弥陀仏を称えてくれと願っている。だから私たちはそれに応えるんだ」というのが一定の理屈ですが、「個人が願っていること」に叶うというのがポイントだと思っています。

2025年12月2日 10:17
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

お話しありがとうございます。
功徳を考えるというより、何が亡くなった人間えの回向になるのかを考えていました。
家族で小さな功徳を積み重ねていこうと思います。

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