出家したい欲求を減らすには?
宗教的な向上心と俗世に希望を見いだせないことがきっかけで出家に興味を持ちました。
しかし、自分の動機が必ずしも高潔ではないことや、師僧を見つけられないことから、出家は自分には無理だと感じています。それでも執着を断つのが難しく、無理だと分かっていながら出家したいという気持ちが残っています。
出家への欲を減らすにはどうしたらよいでしょうか?
見返りを求めがち、仏教に対する興味が強いです
煩悩では怒り、イライラする事がが多め、後は怠け心。強い欲は飲食系の贅沢欲、その次に睡眠とか性欲とか。嫉妬とかはしてもすぐ忘れる方。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させていただきました。
やってみたいと思われたことは、全部やってみられたらいかがですか?
実際にやってみたら、動機が高潔でないといけないかどうかも分かると思います。
師僧を見つけられないとのことですが、ジョニー・ホースさんは誰か憧れている人や尊敬できる人はいらっしゃらないのでしょうか。いてるのでしたら、実際に会いに行かれるのをおすすめします。
もしいてないのでしたら、歴史上の人物でも良いと思います。その方のことを書かれた伝記や、その人の著作物などを読み込んで生き方を学んでいくことも、とても大事なことだと思います。
出家というかたちにこだわらず、憧れるひとに近づいていくのはおすすめです。
こころに法衣を身に着ける こころに袈裟を着ける
坊さんが法衣を身に着ける、袈裟を身に着けるというても形だけの御仁も多くおられましてナ。つまり、出家とか在家とかは関係ないのでござる。
どこの宗派、どこの国にあろうが、天にかかる月を仰ぐが如くにあなたの存在のあるところ、必ずほとけの教えの光、悟りの功徳、涅槃のやすらい、智慧慈悲の心は、実現が可能なのです。
どうして、出家という形で「なければならない」などということがありましょうや。
私は業界では群れませんので曹洞宗でありながら曹洞宗からも出家心理です。出家とはむしろそういうものだと思っております。
良寛さんの歌にこんな歌があります。
「世の中とまじわらぬとにはあらねども一人遊びぞわれはまされり」
別に世の中に交わらんというわけではないけれども、自分は自分一人で一人の作用体であり、自分がただ自分のことをおやっておるだけ、それが人生の本質であるから、人と関わってややこしいことになるよりもこうしておることが一番の安楽である、と。
出家は出家したところで、うちの宗派の場合はですが、曹洞宗全体の動きともなるとお寺との関わり、檀家さんとの関わり、寺務に追われて、とても修行や仏の教えを学ぶどころではないという風になってしまうこともあるのです。必ずしも絶対にそうだというわけではありません。
大切なのはあなた自身の宗教心、道を求める心、求道心、悟り涅槃という聡明でやすらかな心を求め一切衆生を救わんとする心、菩提心。
人間とは不思議なもので仏教を学ばんと志すものの、なかなかどうして(死語)自分の自己実現願望が邪魔をするのでおじゃる。己のやりたいことが勝っている心理状態にあるのは出家をしても出家にならんのです。なぜか。いくら袈裟を身に着けようが、出家世界に入ろうが、心が自己ファースト、おのれファースト、思考ファースト、マイルールファーストなので、今日、今というフレッシュな事実に触れることができないのです。
そうすると、自分の頭で考えたマイ脳内ワールド想像世界が第一優先案件になる。現実はそうじゃないのに実際にそうだと誤解するようになる。
そこで!
今の事を踏まえて自分の質問などを読み返すことをお勧めします。
あ、そうか、こういうことも、まさに自分ファースト心理なのか、ということが見えてくる。そして、そこに歯止めが初めてきくようになるでしょう。
出家とはオノレからの出家が第一歩です。
心の出世間を
仏教は出世間の教えであり、在家信者であっても世間の価値観と一線を画することができる教えです。
だから。まずは仏教の教えを学び、実践してみましょう。
例えば、五戒を守り、サマタ瞑想やヴィパッサナー瞑想にチャレンジしてみる。
例えば、念仏やお題目やマントラ(呪文)を唱えてみる。
例えば、慈悲喜捨の四無量心を意識してみる。
例えば、布施(見返りを求めず他人に寄付やプレゼント、人助け)をしてみる。
例えば、仏・法・僧の三宝を礼拝してみる。
そのような修行にチャレンジするだけでも、あなたは、泥沼にあっても汚れない蓮のような人間になって光り輝けるかもしれません。
質問者からのお礼
無理なら別の方法を探すという考えは参考になります、ありがとうございました



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