在宅勤務で気がついた自分について
お世話になります。
私は10年程前から感音性難聴になり、コミュニケーションに困っております。
補聴器をつけていても周りの雑音などで上手く聞き取りができず、他人より劣ってしまいます。そのことで、同僚などで理解をしてもらえずに全ての人に対して不信感を持ってしまいます。
勿論、理解してもらっている方もいるのはわかっているのですがどうしても不信感を持ってしまい、自己肯定を持つことができません。一番に悔しいのはそういった見下す人間に助けを求めないと仕事に支障が出る点です。
普通に聞こえてれば難なくできることも
そういった人間を通して教えてもらわなければなりません。勿論感謝はしていますが、はなっから聞こえが悪いことに
悪意を感じます。
どのような心構えでいればよいか、教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『きっと、もっとたいせつなことがある』。
akeさん、はじめまして。
浩文(こうぶん)と申します。
先の投稿も合わせて読ませていただきました。
私も感音性難聴です。
小学2年生のころに発覚しました。
比較的最近の機器は
雑音を小さくできるようになってきていますね。
しかし残念ながら
それでもコミュニケーションに難儀することは
避けられないと思います。
それが感音性の特徴だからです。
『同僚などで理解をしてもらえずに全ての人に対して不信感を持ってしまいます。』
非常に心苦しいのですが
恐らく耳の聴こえに関しては、はじめから
「誰にも理解されない」
ということを覚悟するしかないように思われます。
周りの人にとってそういう人が一番もどかしいからです。
それでもどうか
周りの人に理解を向けていただきたいです。
なぜなら、見下す人、悪意のある人でさえもみなそれぞれ
普通にしていそうで
「誰にも理解されない障害」を
抱えているのかもしれないですから。
難聴で責められたこと、悔しい思いをしたことはたくさんあるし
たぶんこれからもあると思います。
ですが、私は自分の中に「支え」がありました。
知っていたからです。
「自分が悪いのではない。だから卑屈になる必要はない」
その限り、自分のせいにしない。
その代わり、誰のせいにもしない。
きっと、もっとたいせつなことがある。
それが支えでした。
きっとakeさんをも支えてくれると
私は信じています。
「不信感を持つのはakeさんのせいじゃない。
その代わり見下す人のせいでもない。」
「聴こえが悪いのはakeさんのせいじゃない。
その代わり悪意がある人のせいでもない。」
簡単ではないことは分かっています。
でもその限り必ず支えになる。必ず道は開けると信じています。
それで仕事はうまくいくのか?
それは分かりません。
でも「支え」があれば、いくらでも「工夫」はできる。
どうか、akeさんに
その意を理解していただきたいです。
若輩のうえ、解決にもならぬ生意気な回答で
申し訳ありません。
南無釈迦牟尼仏 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
同じ経験をされた方からのお言葉は
やはり説得力があります。相談してよかったです。どうしても自分を責めてしまい、自己嫌悪になってしまいます。
お言葉をしっかり理解して今後の人生に
プラスにできるよう、努力します。