修行をしても攻撃的性分が直りません。
ご質問させて頂きますハルソラと申します。
このような大変な時期に私事の質問で恐縮です。
私はかなり気が強く攻撃的な側面があり、それが直らず困っています。
タイトルにある修行とは座禅を中心とした仏教の学びで、生きる苦しみの克服と慈悲心を身に付けたいと一般人ながら禅の老子の弟子にさせて頂き公案にも取り組んでいます。
そのように禅仏教に深い感銘を受け、それを第一として基本的には穏やかな日々を送りながらも、ふとした瞬間に攻撃的な側面が出てしまいます。
例えば、仕事で理不尽な指摘をされると同じ態度で返してしまいます。
また路上で言いがかりを付けられると激しく説教したり、暴行されればとっ捕まえて謝らせたり、近所迷惑な者には怒鳴り込むこともありました…。
何故このような性分なのか省みると、恐らくは私が3才の時に妹が生まれた事で両親の愛情が妹に移り、妹に対して3才児ながら嫉妬と憎悪と嫌悪の感情が芽生えたところから始まり、私の人生は長らく不遇の時を過ごした為に怨恨感情が未だに根底にあるのだと思います。
また私は格闘技をやっており「自分は強い」という恥ずかしながら驕りの気持ちもあるのだと思います(実際にはそんなに強くないのですが…汗;)
怒りを抑える方法は書籍でも沢山学び少しはマシになれど、自分でも危機感を覚えるほどの悪癖で修行が足りないと言われればそうなのですが、
どうすればこの性分を良い方向に持って行けそうでしょうか?
お坊さま方のご回答よろしくお願い致します。合掌。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ぺこぱ
あなたにとっては、理不尽だったりいいがかりだったりと感じることも、相手にとっては筋の通った正しい事を言っているのでしょう。自分が100%正しいと信じ自分の見解でものごとを考えようとするから、トラブルになるのだと思います。
ぺこぱというお笑いコンビをご存知でしょうか?
彼らのネタの特徴は「否定しないツッコミ」です。タクシーで運転手と客の設定のなかで、運転手役の車が客の役にぶつかってしまう。ここで普通の漫才なら「ぶつかっちゃダメじゃないか。ちゃんとやれ」などとツッコむところを「おれが車道側に立っていたのかもしれない」(車にぶつかるようなところにいた自分が悪い)と言います。この謙虚さ。また、相方が自分の前に出てきてしまい、自分がテレビに映らない。そこで「どけよ」とつっこまない。「かぶっているならおれがよければいい」(見えないなら自分が動けばよい)。この行動力。
相手が悪いと決めつける前に、相手はなぜそうしたのか、本当に自分は正しかったのか、よくよく考えてみることだと思います。思い通りにならなかったら、それを相手に求めるのではなく、自分が工夫して乗り越える行動力が必要なのだと思います。
質問者からのお礼
光輝さまご回答ありがとうございます。
仰る通り、私が正しいという思い込みがあったのかも知れません。
相手の視点からものを考える配慮に欠けている事に気がつきました。
また謙虚さと行動力についてのお話は大変感銘を受けました。
ぺこぱというお笑い芸人は知りませんでが、早速見てみます!
これから繰り返し光輝さまのご回答を読んで実践したら自分を変えて行けそうです!