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生きている価値が見つかりません

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

スーパーで勤務している22歳の女です。
日々の忙しさもあり、日に日に自分がわからなくなり苦しいです。
寝る前には昔やってしまった悪いことを思い出して毎晩死にたくなるくらい苦しくなります。

わたしは小学生の頃、友人の教科書やお金、ゲームを盗んでしまっていました。
さらに姉のお金も盗み、親に見つかり説教をされました。それからはもう二度と盗みをしないようになりました。
他には友人の筆箱を面白半分で隠したり、陰口を言ったり。当時は面白半分でやっていましたが、今思うといじめをしてしまっていました…。
大人になった今でも職場の人の悪口や、同期の悪口を言ってしまいます。

頭では良くないことだと理解しているのに喋るのが止まらず、話終わった後はすぐ後悔してしまいます。
いつもこのような事をしてしまう自分はなんて最低な人間なんだろう
生きている価値がない人間なのに同期や友人はどうして優しくしてくれるんだろう、わたしの過去を知ったらみんな離れてしまうのではないか、と不安になります。

また、家族が死んでしまったらどうしようという不安に襲われ、寝る前に家族の健康を祈ったり、世界中の人々がみんな笑顔で豊かな気持ちで生きられますように、と祈って眠りにつく自分が罪から逃れようとしている偽善者の様な気がして
早く死んだ方がいいのではないかと思ってしまいます。

優しい暖かい人間になりたい自分と、理想からかけ離れている最低な自分のギャップが激しくて現実逃避してます。

どうしたら生きる価値を見出せますか。
死にたい気持ちは消えることはあるのか、過去の罪はどうしたら償えるのか、
いつか暖かい人間になることはできるのか。
毎日こんな事を考えてしまい、夜もうまく眠れる事が出来ないので、時間がありましたらヒントをください。

支離滅裂な文章で読みにくくて申し訳ございません。
こんな暗い世の中ですが、みなさんの助言に光を見つけられてなんとか生きられています。
忙しい日々の中で助言をくださってありがとうございます。
健康に気をつけてくださいね。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を大事に出来る生き方をしてほしいし、していいと思います。

相談者様は本当に真面目で優しい人なんだと思いました。だからこそ楽とは言えないスーパーの仕事も続け、世界中の人のために祈ったりされるのだと思います。そして、昔の罪をいまだ抱えられおられる。
親鸞という僧侶は、自身のことを罪悪深重の悪人であると泣かれています。それは、捨てがたい罪の心があるからだと言われています。仏道を求めながら、人を妬んだり、嫉んだりして生きているというのです。人間というのは誰かを傷つけたり、他の生き物の命を奪ったりしながらしか生きていけない、罪を自覚していたのです。自分の力で悟りを開くことはできないと嘆き悲しんでいます。彼は、地獄の底で苦しむものを救うという阿弥陀仏の教えに出会っていかれます。どうしようもない自分だから阿弥陀仏は悪人を助けようとしている。親鸞は自分が善人になることはできない、だがこの地獄の中でその中を這いずり回って、仏の教えを聞いて生きていくしか私にはできないと言われたのです。悪を犯さずに生きることは可能でしょうか?仏の目から見れば人間はすべて極悪人です、他の命を奪い、環境を破壊し生きています。しかし、それでも生きて欲しい、という願いがかけられています。どうしてそうなっているのか、そこは人間の範疇を超えているのかもしれません。
あなたは、偽善者といいますが、これだけ悪がはびこる時代に、偽善でもいいから善を願うこと自体が希有なことだと思います。あなたをして、他者の幸せを願わせるものは何ですか?あなたがここにこうして相談されていること自体が、ご自身の中に命を大事にしたい、かけがえのない人生を大切に生きていきたい善く生きたいという深い願いがあるからではないでしょうか?あなたをしてそう思わせるものは何でしょうか?あなたを生かしてきたものは何でしょうか?
どうしたら生きる価値を見いだすことが出来るのか、簡単な答えは分かりません。どうすることが自分を大事にする生き方なのか考えていくことを取りあえずやってみませんか?
世間の目や、ちゃんと生きろという常識の声などは究極的に言えば無視してもいい。だけど、本当に大事にしなければいけないのはあなた自身です。
いつか暖かい人になれるのか、あなたは「忙しい中ありがとうございます。健康に気をつけてください。」と書かれています。私はこの言葉で暖かくなりました。◎お勧めの本→『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』

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有り難し
おきもち

個別相談可能
浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。 ※【回答について】ハスノハの相談には千字の文字数制限があります。もっと答えたいのですが、途中できれている相談は、千字の字数制限のためだと思ってください。
どんなお話でも聞かせていただければと思います。 良し悪しのジャッジもしません。 〔次のような方におすすめいたします〕 ・なかなか話す機会もなく、身近な人に聞いてもらえないという方 ・辛い経験をしたがそのことの整理がついていない

両方とも本物

こんばんは。いまスーパーで働いておいでなのですね。心から感謝申し上げます。人の少ない時間に行くと、黙々と品出しなどをされながら、「いらっしゃいませ」と声をかけて下さる方もいて、「本当に心からお疲れ様です」とお伝えしたいです。
さて、「過去の過ち」については、このhasunohaには沢山の問答がありますので、どうぞそちらをご覧ください。どうも人間は、辛いことがあると、その「辛さ」で括られている記憶を呼び起こす仕様になっているらしいです。現実に対応できるのは「今だけ」なのに、必死に過去を思い出そうとするんですって。健気です。
さて、あなたの質問で気になるワードは「偽善者」「ギャップ」です。これは、「本当の私って…」を考えた時に陥りやすい所です。実際は混在している、あるいは瞬時に入れ替わっているのです。
お客さんが来て、「こんにちは」と明るく迎えられた。この瞬間「いい人」です。
その後バックヤードで「あの人って…」と悪口を言った。この瞬間「残念な人」です。
このように、「その行いが、その人の評価である」という認識が大切です。
もしかしたら、あなたは僕の回答をみて、「なんだかホッとした」と思うかもしれません。その瞬間、私は多分よい人です。しかしその時、ここに居る私は妻と喧嘩して泣かしているかも知れません。あら残念な人です。
あなたの文脈に沿って書けば「健康を祈っている」よい人。そして家族に「悪態をつけば」残念な人。どちらもあなた。どちらも本物です。そんな小さな瞬間が重なり連なっているのが、あなたの人生です。そう説明するならば、私も誰も同じなのです。平等です。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

忙しい中お返事ありがとうございます。

頂いた言葉を思い出しながらなんとか生きてみようと思います。
日々の忙しさやお客様からかけられる心ない言葉に疲弊して、ネガティブな思考になっているのかもしれません…。

何年もかけて根付いた思考なので、簡単には死にたい気持ちは変えないとは思いますが、日々自分自身のことを大切に過ごしてみようと思います。
そして自分なりの優しさを相手に向けられるように心にゆとりを持って過ごしていきたいと思います。

本当にありがとうございました。

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