生きてていいのか分からない。
私には、これといって得意なモノがありません。運動や、勉強も苦手です。夢も持っていません。友達も少ないです。性格も、決して良くはないです。(主観ではありません。実際に人に言われたことがあります)
こんなに何もない私が、生きてていいのか分からないのです。
親も優しいし、経済的にも不自由はしていない私にとって贅沢な悩みかもしれません。それだけに、誰にも相談できていません。
長文、駄文失礼しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の能力や性格以前の「いのち」の在り方に感謝しながら。
こんばんは。亀山純史と申します。
「生きてていいのか」の主語は、この「私」ですよね。つまり、「私は生きてていいのか」ということです。
でも、仏教の見方からすれば、「私は生かされているのみ」ではないでしょうか。そして、私の「いのち」は私が所有するものではないことを、「無我」というのでしょう。自分のものでないから、自分の思い通りにすることが出来ず、ある日突然、この世から消えてしまう可能性もあるのです。
では、私の「いのち」は誰のものなのでしょうか。私は、私たちの「いのち」は、仏さまの「いのち」であり、私たちの「いのち」は、仏さまからいただいた「いのち」と思っています。仏さまとは、多くの縁のはたらきです。ですから、たとえ得意なこともなくても、あなたの「いのち」は多くの縁によって生かされている存在なのです。そうであれば、自分の能力や性格以前の「いのち」の在り方に感謝しながら、日々の生活を送ってみませんか。そうすれば、そこに「生きてていけない〈いのち〉」などないことに気づくのではないでしょうか。
以上が私からの回答になります。少しでもご参考にしていただければ幸いです。
貢献感を持つと変わるよ
かたつむり 様 相談ありがとうございます。
得意なものがなくても、勉強や運動が苦手でも
友達が少ないと思っていても、
性格が良くないと言われても、
あなたには出来る事があります。
あなたが、生きていいいのかわからないと思ってしまうのは
自分の居場所、存在感がいまいちピンと来ないからでしょう。
居場所や存在感を感じるには、
『自分が好き・他人を信頼できる・貢献感が持てる』
という事が有ると感じるのです。
幸いあなたは、親が優しいとおっしゃてますから、その感謝の為に
あなたの御両親に、何ができるかな?どんなことをしたら貢献できるのかな?
を考え行動してみてください。
無理をしないで、あなたの出来る範囲で、出来る事を考えて貢献の行動につなげてください。
例えば、笑顔で「ありがとう」を言う事を、いつもより多めにしていく!
という事でいいのです。
朝の挨拶「おはよう」を笑顔で何時もより明るく大きめの声で言ってみる!
でもいいのです。
こういくことから、親に貢献したことになり、段々と他人を信頼できるようになり、自分を好きになっていきます。
貢献の行動を小さなことから、できる範囲で、増やしていくと、友達もできるようになっていきますよ。
お母さんの料理のお手伝いなど、家事のお手伝いなど、笑顔を多めにして明るく行えば、きっとあなたの貢献感は増します。
その時、生きていいのかわからないという思いが、答えが見つからなくても、消えていっているでしょう。
試みてください。
一礼
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ございません。お二人のご回答を読ませていただいて、自分の生き方が少しだけ分かったような気がします。
本当にありがとうございました。