親友に「不幸」扱いされて辛いです。
こんばんは。夜分に申し訳ですが、相談させてください。中学校時代からの親友に「私ちゃんは本当に真面目に生きてるのに辛い思いや苦しいことが多くて本当に報われてほしいよ」と言われるのが辛いです。
親友も悪気はないのは分かって、私を本当に心配してくれてるんだと理解しています。親友は統合失調症を患っていて昔からコミュニケーションが苦手だったので誤解されやすいところも多いので仕方ないですが。ただ、親友に言われると、確かに何で悪いことをしていないのに次から次へと自分はこんな不幸を背負わなきゃいけないんだろう?とフラッシュバックして悩んでしまい辛いです。
私の過去を話すと
母親から虐待をされて児童相談所にいた経験がある。
小学生のときは母親のことでいじめを受けた。
だけど負けたくなくて学校に行き続けたら、大切な友達ができた。
父親が会社で責任を負わされ、マスコミに私をストーカーされてた時期もある。
しかし、負けないで学校に行っていた。
中学2年のときに父親が自殺したが、父の自殺を機に公務員になることを考えた。
高校受験第一希望不合格で私立を受けていなかったので中卒になるところだったが、公立二次募集で受けた高校で友達が出来た。
母親に迷惑かけないようにバイトと部活を両立して、高校時代は部長になったり、バイトリーダーになって苦労したが
いい経験になった。
公務員試験を受けるために1年間フリーターをして貯めた学費で予備校に通い、二浪して公務員になるが上司にパワハラされた。
しかし、お偉さんが助けてくれて、上司は左遷になった。
元カレにストーカーにあったが、警察に相談して解決した。
特定疾患の難病やうつ病になり、摂食障害になり拒食症になったが、特定疾患は再発せずに過ごせており、うつ病や摂食障害は5年経過し完治した
子どもを流産で失ったが今は5歳の娘がいる。
現在は双極性障害の上司にあたり苦労しているが、お偉さんに昇進を打診されており、昇進試験を受ける。
母親とも和解した。
色々ありましたが、乗り越えてきました。それを不幸と言われるのはやっぱり辛いです。しまいには色々な人に嫉妬されて呪われてるのかもとまで言われました。
私は呪われてるんでしょうか。報われていないんですか?試練がくるのは私の日頃の行いがダメなんでしょうか。
私は自分が不幸だと思いたくありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
評価で変わるものは?
ご相談拝読しました。
確かにあなたの人生において様々なご苦労があった事と思います。でもその中であなたは投げやりになることなくまさに苦難を乗り越え、そして大切なものも見出してきたのでしょう。苦しい出会いもあれば、素晴らしい出会いもあったのでしょう。
その事実は、あなたの歩みは、他人からの評価で変わるものでしょうか?変わったとしたら何が変わったのでしょうか?
あなたの歩みは変わっていません。あなたが確かに歩んできた人生はあなたの中に証されています。
他人からの評価で変わるとしたら自分自身の評価でしょう。つまり自分の思いです。
幸せは自分の心が決める的な言葉もありますが、同じもの・ことでも見方や考え方で違う様に感じられることを表した言葉でしょう。
そのように一時的な評価、ましてや他者からの評価で揺らいでしまうものを幸せの価値観の中心に据えなくて良いのです。
もちろん人間ですから他からの影響を避けることは出来ません。関係を生きるのが人間であるからです。
しかし、どこに中心をおくか。何を拠り所とするか。他者からの評価や人生でおこる出来事にあなた自身が主体的にどう態度をとるか。
それこそがあなたの大切なものではないでしょうか。そしてあなたの歩みこそがそれを証明するのではないでしょうか。
人生で起こる出来事は思う様に選べません。あなたの行いが悪いから苦難が降りかかっているということではありません。
世界は自分の思いとは無関係に回っています。原因と結果の無数の連鎖が今此の時として表れているだけです。
私たちに出来ることはそこに主体的に態度をとって歩んでいくこと。あなたは確かにそうしてきたのではないでしょうか?
私はあなたの歩みは賞賛されるべきものであるように感じます。
質問者からのお礼
温かい言葉をありがとうございました。府に落ちました。私は性格的に「人の評価を気にしてしまいがち」なところもあり、ましてや仲の良い親友に不幸と言われたことが悲しくなってしまったのかもしれません。ただ、おっしゃる通り今までの苦難は私の生きてきた道であり、そして素敵な出会いもありました。私一人で乗り越えたわけではなく辛い時期には必ず誰か見守ってくれていたように思います。
色々紆余曲折ありましたが、自分はまだまだ努力が足りないと自分に満足していないところがありましたが、自分の歩んできた軌跡をもう少し信じてみようと思います。(決して驕ってはいけませんが…)
本当にありがとうございました。