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浄土とは何か

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お世話になっています。浄土真宗についての質問ですが、浄土というのは死後の世界だと解釈しているのですが、どうも死後の世界ではないと解釈している人もいるようです。浄土真宗は、この「浄土」というのが大前提の教えなので、この「浄土」が分からなければ教えが根底から変わってしまうのですね。そこが悩みところです。
浄土真宗の教義について僕の一連の解釈を書きます。
1本願に疑い無くなるのが信心
2しかし、本願を信じられない
3信じられないのは煩悩があるからだ
4阿弥陀仏は煩悩ある者こそ救う
5そこで、「自分にできることはなかった」と自覚する(機)
6阿弥陀仏の浄土に救うという「働き」(本願)のみがある(法)
これが一連の僕の理解です。僕は「異安心」なのでしょうか?すごく不安です。これはあくまで「死後」を前提にした解釈です。
浄土真宗の救いは、「自分の姿が明らかになることだけだ」と言う人もいますが、それだけだと何のメリットもなく、ただただ自分に失望するだけだと思うのです。しかし、自分の姿を知り、「だからこそ、死後、阿弥陀仏に救われるのだ」と解釈すれば、煩悩を受け入れることができ、様々なメリットがあると思うのです。
僕が浄土を死後の世界と解釈する理由は、浄土が死後の世界じゃないと、死後の解決にはなりませんよね。
自然の理法(仮の阿弥陀仏の解釈)におまかせするのも、解決になるのではないかとも考えましたが、それは「死の解決」であって「死後の解決」にはなりません。だいいち、自然は何をするのか分かりません。地震を起こしたり、コロナを起こしたり、そんな自然におまかせするのは、余計恐怖でしかないように思います。
ただ、死後の解決には死後の世界は必要なのですが、仏教には「無記」というものがありますよね。死後があるのかないのかは人間には分からないから、今を生きなさい。という内容だと解釈していますが、これも一理あると思っていて、浄土の教えは死後を説いているのか、いないのか、どちらでもないのか、分からないのです。これは、浄土真宗の一番重要なものだと思うのです。皆さんは「浄土」をどのように解釈しているのか気になって書きました。詳しい方、回答していただけると有難いです。

南無阿弥陀仏


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

報土因果顕誓願【正信偈】

いつも深い問いを有難うございます。また共に学ばせていただきます。

まず大前提として「浄土=死後世界」ではなく「浄土=仏の覚りの世界」です。

仏様が修行の段階において自分が真理に目覚めたならばどのような世界を開きたいかを考え、その修行が成し遂げられて出来る世界が浄土です。

その中で阿弥陀仏の極楽浄土は、確かにお経を読むと、浄土を願いお念仏を申す人は誰も排除されず死後に往き生まれる世界として説かれているように見えます。
その浄土はきらびやかで苦しみのない理想的な世界として説かれています。

しかし、そもそも浄土とは仏様のさとり世界なのですから生・死とか有・無とか自・他とかそうした二項対立を超えた世界であり、私たちの感覚では見たり聞いたり考えたり想像したりすることも及ばない世界なのです。
私たちは自分の見たもの聞いたもの考えたものにとらわれ、分別(分け隔てて評価する)して迷う存在なのであり、仏様の世界はそうした分別を超えた無分別のもののはずです。
けれどもそれでは私たちには認識できず、そこに生まれたいと願う事すらままならないので、私たちにも認識でき、そこに生まれたいと願うように例えばきらびやかな世界として説かれているのです。
こうした表現を「方便(読み:ほうべん 意味:真理に近付くための手立て)」と言います。

では、どこまでが方便で、どこからが真理でしょうか。全部でしょうか、一部でしょうか。死後という表現についてはどうでしょうか。

仏意はかり難し。それは私たちには分かりません。

さて、分からないと救われないでしょうか?
分かったとしたら、自分の理解が正しいと判定されたとしたら救われるのでしょうか?
それは知的満足や自分の感情の一時的な満足に過ぎないのではないでしょうか。

死後という未来に救いの可否が条件付けられるのであれば、どんなに信じようとしても、未来が不確定であり実証不可能なものである以上は疑いの域を出ません。

今の救いこそが、未来への不安や迷いをそのままに包むのではないでしょうか。分からないままの救いです。

浄土とは死後世界かどうかではなく、死後であろうとなかろうと今この私にはたらきかける世界です。

報土因果顕誓願

報土(浄土)のできる因が誓願なら、できた果もまた誓願にあらわれているのです。浄土とは死後に停滞する世界ではないのです。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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色々な宗派の色々な浄土

はじめまして日蓮宗の讃岐英昌と申します。

質問を拝見いたしました。
自分と向き合った深い考察だと思います。

信仰はある程度進むと大きな壁にぶつかるものです。
私は壁にぶち当たった時は、自分の宗派以外の本などを読んだりします。
すると色々な発見があり、疑問の答えに行き着いたりもしますし、しなかったりもします。

浄土について日蓮宗的見解は質問の内容にそぐわないので、割愛しますが色々見ると色々知ることができ、色々助けになります。

迷い苦しむことは次に跳躍するための溜めの時間だと思いますので、迷いの時間も大切にしてください。

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おきもち

私は日蓮宗 今治 寺町法華寺の住職をしております讃岐英昌(サヌキ エイショ...
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結婚の日に離婚を心配する必要はない

結婚式の日は、みんな幸せいっぱいに笑っています。
未来に離婚する可能性もありますが、結婚のときに離婚を考えて不幸な気分になる必要はありません。
私たちが今、念仏するときには、「臨終時に阿弥陀仏が来迎してくれ往生できる」と考えて喜びましょう。
「もしも往生できなかったらどうしよう」と未来の不幸を心配する必要はありません。
今・この瞬間に、念仏で「臨終後に往生できる」と幸せを感じればそれで良いのです。
浄土は、別の宇宙みたいなものです。
遠い場所ですが、現在も浄土には浄土の住人が生きていて、浄土で生活している。死人の世界ではなく、生きている世界です。
私たちは念仏すれば、臨終時に阿弥陀仏が来迎してくださり、極楽浄土に往生できる。
輪廻転生する前提で、次に生まれるなら浄土に生まれたい、という考えです。
追記
お礼コメントありがとうございます。
「不確定な未来を信じる」というよりは、「どうせ不確定なんだから考えなくてよい。」という感じです。
信じるのが難しい場合は、浄土教にこだわる必要はないかもしれません。
まずは基礎仏教を学びましょう。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

吉武さん、貴重な回答ありがとうございます。浄土は死後の世界ではなく、仏の世界なのですよね。僕は言葉こそ違うものの、同じものだと捉えていたようです。吉武さんの回答に基づき、独自に解釈すると、仏=宇宙そのもの、あるいは宇宙の理法と捉えました。浄土=宇宙の理法の世界ということですね。なるほど。やはり、仏教で説いていることは、一連して「縁起」という宇宙の法則なんですよね。浄土は今この瞬間に働きかけている世界。まさに、縁起なのですよね。
二種深信
機(凡)...煩悩具足の凡夫だと深く感ずる。
法(仏)...大いなる力(縁起)によって支えられていたと深く感ずる。
自己の有限性を知らされることにより、仏の力が知らされるという理解をしました。
往相回向...迷いの世界から命の真実の世界に往く。
還相回向...迷いの世界にいる人々に命の真実を説く。
僕は死後の世界について軽々しく述べましたが、吉武さんのおっしゃる通り、死後の浄土というのはあまりにも不確定で、内心不安を抱いていました。仏教の信心は、不確定ではなく、確定でなくてはならない。不確定だから信じる心が起き、確定なら信じる必要はない。それが本物の信心ですよね。
おそらく多くの人たちは、僕のように根本的に間違った解釈で捉えている可能性がありますね。改めて、「問い」の大切さが分かりました。ありがとうございます。
吉武さん、本当に貴重な回答ありがとうございます。

ちなみに、僕は以前から阿弥陀仏は「方便法身」だという曇鸞様の言葉が気になっていました。阿弥陀仏や浄土も方便として説かれたものなのですよね。ようやく、謎が解けました。ありがとうございます。
南無阿弥陀仏

願誉浄史様、回答ありがとうございます。もちろん、願誉浄史さんのような強いお方なら素直に本願を信じられるでしょうが、僕には信じることはできませんし、未来のことも考えてしまいます。不確定な未来を信じるのは、僕にはとても出来兼ねるのです...。

讃岐英昌様、回答ありがとうございます。そうですね。他の宗派の解釈も調べたり、仏教の基本に帰ったりしながら、深めていきたいと思います。「迷いを大切に」という言葉がとても心に響きました。迷いは自分を成長させてくれるものでもあると思うので、しっかり迷わせていただきます笑

願誉浄史さん、追記回答ありがとうございます。なるほど。ようやく分かりましたよ。未来は不確定だからこそ、自力のはからいを入れずに、南無阿弥陀仏にお任せすればいい、ということでしょうか?信じるというより、阿弥陀仏のはからいにお任せして、自力では手を出さないということですね。分かったつもりになっているだけかもしれませんが、また勉強させていただきました。ありがとうございます。

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