死後について教えて下さい。回答受付中
先日12歳になる息子を亡くしました。
縁合って浄土真宗で葬儀行い四十九日法要も終わりました。
質問ですが、浄土真宗の教えに阿弥陀如来が全ての者を救うのが本願だと仰られましたが、親鸞聖人は必ず信心決定せよと言われその後、蓮如上人が生きている間に信心決定しなさいと言われましたよね。
でもそれだとウチの息子の様に毎日元気だった子供やまして赤子には無理だと思うのですが、自分の解釈は間違っておりますでしょうか?御教授下さい。
25歳で結婚し1年後に家を建て不妊治療の末31歳で長男が産まれ6年後に次男が産まれました。 普通に平和な家族でしたが2025年8月に突然長男を亡くしました。
お坊さんからの回答 2件
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今の浄土真宗のその教えは
キリスト教と同じパラドックスに陥っているように見えます。ブッダの教えの一部を切り取った宗派の教えで解決つかなそうなら、ブッダの教え丸ごとの中に答えを探すとよいと思います。
悟るまでは六道輪廻するのが釈尊が語った法則で、正しいと私は思っています。
輪廻する力は本人の心で、心は、心の感情や思いだけでも、言葉や行動からも、行為の結果・業を積み重ねています。それらの業の力で心だけが、体という物質は捨てて、次に行きます。
次の生まれをすぐに選ぶというか必然的にその生になってしまう、その際に、自分の業の力以外の、支えになったり邪魔になったりする業も働く、と釈尊の仏教では言います。浄土教の仏やその眷属が迎えに来るとか、世間でいう、地獄の獄卒が来たとかご先祖様が待ってるとかお花畑を見たとかいう話も、あながち幻覚ではあるまいと、私は思っています。そして、その意味でなら、生前真宗になじんでいなくても、死後、仏や菩薩の導きで浄土(天界)に生まれるということも、言えると思います。
実際、釈尊の教えでは、亡くなったらどこかに生まれ変わって、そこでもう次の歩みを始めています。こちらも残りの人生を徳を積むように励みながら、人間同士が助け合うのと同じ感覚で、先に亡くなった縁者にも、支えたいという気持ちを手向けて(功徳廻向して)、何となくコミュニケーション取ってる感じで生きていくと、知らずにこちらの心の善行為になると思います。もし相手に届けば、喜んでくれるでしょう。
親鸞聖人の信心領解
ご相談拝読しました。お子様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
さて、浄土真宗にご縁をいただいたのですね。このご縁がお子様にとってもあなたにとっても真の救いとなることを念じます。
おっしゃるとおり、阿弥陀仏は全ての生きとし生けるものの救いを誓った仏です。あなたのお子様が子どもだからと信心を決定できないばかりにその救済からもしももれるならば、それでもあなたは阿弥陀仏の極楽浄土に生まれたいですか?私ならばそんな浄土は願い下げです。
かと言って、救済の原理を自分の都合で解釈するのも誤りであり、それは真の救済につながらない自己満足に陥ってしまうのでしょう。だからこそ先人はこの救済という問題に真摯に向き合ってきたのだと思います。
親鸞聖人のおっしゃる信心決定とは私たちの心を揺るぎないものに固める様な在り方とは異なります。親鸞聖人にとって信心の本質とは阿弥陀仏の側に属するものであり、その阿弥陀仏の真実心が私たちに回向される、その具体的な相が南無阿弥陀仏の名号(お念仏)です。
南無阿弥陀仏とお念仏を称える大元の根拠は私たちの側にはありません。元をたどっていくと必ず阿弥陀仏の真実心(私たちを救いたいという)に至ります。この真実心との呼応・共鳴、具体的には南無阿弥陀仏を聞き、称える。これが信心決定です。
だからあなたが称えるお念仏をお子様が聞くならばそこに信心が決定する、お子様の声なき声からあなたがお念仏を聞き取り、そしてお念仏申すならばそこに信心が決定するのです。
これはお互いを必ず仏になる存在として敬い合う関係の成就です。そこにどうして輪廻の迷いが入りこむでしょうか。
もちろん私たちは死ぬまで迷い苦しむ存在。上記の様に頷いて納得できる時期もあれば、そんなものはまやかしだと突っぱねたくなる時期もあるでしょう。私たちの心は弱く儚いもの。救済の根拠にならないものです。
だからこそ揺るぎない阿弥陀仏の本願を根拠としてただ聞かせてもらう。あなたに本願を聞かせるご縁があなたのお子様なのだとしたら、お子様の存在はあなたにとっての諸仏(阿弥陀仏の願いに導く諸々の仏方)としてはたらいている事実に目が開くでしょう。
どうかこれからもごまかさず道を求めてください。あなたとお子様の良き出会い直しがあることを念じます。
質問者からのお礼
解答ありがとうございます。
正に卵が先か鶏が先かで悩んでいたんだと思います。功徳廻向と言うお言葉を貰い調べると自分の中にスーッと入って来ました。ありがとうございます。これからも正信偈を唱えていきたいと思います。
吉武文法様
解答ありがとうございました。
読ませて頂き自然に涙が出て来ました。
まだ落ち込む事が多いですが息子が聞いてくれてると思いこれからも毎朝 正信偈を唱えていきたいと思います。息子が仏教に出逢わせてくれたのも息子が仏になって仕事をしてくれたんだと思える様になりたいと思います。