母親に次々と病気が。
はじめまして。
母親が入院しています。
腎臓が悪く透析をはじめ、そして先日、子宮に癌がみつかり摘出しました。その後、腹痛が続き再度入院しました。今度は腸に穴が空いている可能性があり、癌が他に転移しているのではないかとのことです。
母親はまだ旅行も美味しいものも食べたいだろうに。そして私の家族に新しい命が秋に誕生することもあり、まだまだ生きたいと思うのですが
今日の説明で最悪はどうしようもなく、骨に転移していたら痛みを伴うと。。。
悲しくて、悲しくてたまりません。
まだそのことを知らない母親がかわいそうで、最初は1週間くらいの入院でしたので、5月には帰れるかな、、一回帰りたいなとつぶやくので、泣きそうなります。
いや、もしかしたら気付いているのかもしれません。それを一人で背負っているのかもと思うと切なくて。
今はコロナ感染の影響で会いに行くことも叶いません。
人の死とは必ず来るものだと思いますが、悲しいですね。
どのように接してあげるのが良いかなど、とても悩みます。不安を少しでも拭ってあげたいです。
まだ身内の死を見たのは祖父の時だけです。一番身近で一緒に生きてきた母親がいなくなるのはやはり嫌です。なんとか少しでも生き延びて欲しい思いと、病気で苦しむなら早く逝かせてあげたい気もしますが、まだまだ気持ちの整理がつきません。
祖父の時は少しでも長生きできないかと、咄嗟に祖父が好きな仏像を病室に届けてしまいました。非常識なのでしょうが、何かできないかと言う思いです。
死を覚悟しないといけないのはわかります。でもどうかなんとか、、、という思いで相談しました。よろしくお願いします。
人の目が気になる。 外見を気にしたり、自分さえよければと言う 考えが自分の中にあることが自分でわかるので 切なく思う
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愛しい愛した妻を私は看取りました。
初めまして、お早う御座います。
三十代の時に、自分自身を見失い一度は自らの人生と絶とうとした事がありました。仕事ばかりに追われ、仕合せにすると約束した愛しい妻を、病魔に奪われました。異変に気づくのが遅れ・・手術が出来ない部分に腫瘍。ただ死を待つのみの絶望の日々でした。どうして良いか、何をしたら良いのか・・暗闇の中に突き落とされ方向も、とこに居るのかもわからない状態。それでも、今出来る事は何だろう?と模索しながら、自分を作らずにいつも通りの自分で出来る事をして一秒でも愛しく妻との時を大切に寄り添って過ごしました。私も常に笑って寄り添って、妻もそうでしたが、私がそうだったように妻も一人になった時は泣いていたんだろうと思うと、14年立った今でも心が切なくなり時々、涙を流しています。
無理に自分を作らずに、今出来る事をしっかりと悔いのないように過ごす時、それが命の時間だと思います。出来る事は沢山あります。心から寄り添って命の時間を大切に共に過ごしてください。純粋な祈りや願い想いは必ず届きます。
命は沢山の繋がりがあります。様々な試練を乗り越えて来たご先祖様が居て、父母が居て・・生き抜いて来た証であり、願いであり、想いが私たちの身体には刻まれています。私たちも未来に継ぐ架け橋となり、命や託す事を継いで行く役割がそれぞれにあります。
人生は長さではありません。いかに、自分らしく与えて頂いた命と人生を自分らしく過ごしたのか・・それが大切なのです。
大切な心と自分自身を見失わないように。未来の出来事は何一つ起きてはいません。起きていない出来事を思って考えてしまうから、不安や心配時に恐怖となるのです。過去でもない、未来でもない、今この瞬間を大切に善き出来事を思って日々を大切に過ごして見てください。思考を変え、視野を広げて一つの問題に執着せずにあなたらしくお母さまの望んでいる笑顔で日々をお過ごしください。
笑顔とは何にも変えられない素敵なプレゼントで、その場を仕合せにしてくれます。
あなたらしく、この瞬間をお母様とご一緒に光輝く暖かく包まれ仕合せに過ごせますように、お祈り致しております。
切なくなった時、いつでもここに来てください。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
この2日ほどかなり落ち込んでしまい暗かったと思います。
そういうものは知らない間に相手にも伝わってしまうのかもしれませんね。
とても明るくしている母が電話の向こうにいました。
一番つらいのに。
たしかにまだ未来は起きていませんね。
今のこの時を大切にしようと思えました。
と言っても、また明日にはくよくよと悲しんでしまうのかもしれませんが、せめて母にはそんな姿を見せないようにします。
少し気持ち的に救われました。
ありがとうございました。
また相談させてください、