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瞑想ではなく利他で悟れるでしょうか?

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有り難し有り難し 22

昔、道を求めて様々な人と話をしました。
とある尼僧は『お坊さんでも悟っていない人もいる。一般人でも悟っている人がいる。しかしそれは2-3年程度。2-3年したら元の人間に戻る』とおっしゃっていました。これは本当ですか?一般人でも悟れるのですか?

とある行者は『あらゆる修行をしまくったが最も自己を成長させてくれたのは利他(ボランティア活動)だった。利他こそが修行である』『滝に打たれるのも激しい修行をするのも自分の為にするなら自己満足に過ぎなかった』と言っていました。

お坊さんとしての修行をしなくても利他をし続ければ悟りへ近づけるのでしょうか?

私事ですが、事情があって出家は出来ませんし、家でもできる坐禅や瞑想はとても苦手なんです。何度かチャレンジしましたが向いていないと感じています。
しかし、そうであっても(坐禅・瞑想が出来なくても)利他行だけで悟りに至れるのか気になって質問させていただきました。色々なお坊様の御意見をお伺いしたいです。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご質問ありがとうございます。
私は悟っていませんので答えられないのですが、少なくとも利他行によって悟りに近づくということは正しいと解釈しています。ただし自利と利他は深く関係しているものですから利他だけに拘らずに自利も利他も行うのが良いと思います。
なお坐禅や瞑想はちゃんと信用できる師や先生に教わってくださいね。独学では間違えますからね。
また、悟りとは覚りとも書きます。目覚めるということです。あなたが今やるべきことが果たして悟ることなのかどうかということなど、広い視野で自分や物事を見ることも忘れないようにしてくださいね。
なお、心の中の慈悲に従って利他に専念していたら悟っていたということなら素晴らしいことですが、悟る為に利他を行うというのは少し動機が不純かなとも感じますね。決して悪いことでは無いのですけどね。
合掌

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

ななしさん、こんにちは!

>2-3年したら元の人間に戻る』とおっしゃっていました。これは本当ですか?

仏教でいうところの「悟り」という状態は、難しい言葉でいうと、「因縁を離れている」というのを性質として持っているので、元に戻ったりするようなものではない、ですね。
つまり、悟りと呼ばれる状態が、条件(縁)によって成り立つような性質だとすると、その条件が壊れてしまえば、結果である悟りの境地も壊れてしまう、ということになります。薪が尽きたら、燃えている火も消えるように。仏教でいう悟りはそのような性質(無常)ではなく、たとえて言えば、すべてが燃え尽きた状態ですね。仏教の悟りの世界を表す「涅槃(ニルヴァーナ)」という言葉には、「吹き消す」という意味があります。

>お坊さんとしての修行をしなくても利他をし続ければ悟りへ近づけるのでしょうか?

究極的に言えば、そうも言えると思います。つまり、「利他」という行い自体も、「利他行」という修行の1つになりますね。ただ、悟りへ近づくという目的を真剣に考えるのであれば、世間でいう素朴な意味での「人のためになる行い」ということだけにこだるより、ある程度、師僧につくなり、仏教の教学を学ばれて、「利他とは何か?」ということを学ばれた方が、近道かなぁ…。
もちろん、ななしさまが必死に利他に励むという経験からも、その悟りへの智慧が開けてくる可能性は大いにあります。

>家でもできる坐禅や瞑想はとても苦手なんです。何度かチャレンジしましたが向いていないと感じています。

お、そこは心配無用だと思いますよ!利他の心を知り、実践する…という、この過程の中で、瞑想によって得られる心の状態にいたることも、できるからです。

私も、「瞑想がうまくいかないな~」と悶々としていたときも、お通夜で、遺族の方の涙をみて、自然と慈悲の心が湧いてきたり、衣をたたむときに、感謝の気持ちと共に、「今ここ」に集中するマインドフルネスな状態が訪れたりと、実践の中から瞑想の境地が得られるということは大いにあります。

ななしさまも、利他の実践をしていくと、ある日、足を組んで座っていく中で、自然と皆の苦しみが無くなるようにと、少しでも楽になるようにと心から願える日が来るかもしれません。そのように思うだけでも、それは立派な「利他行」です。心の行いが、最も要となります。

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菩薩になりたいです。 仏教は、ほんとうにすばらしい教えだと思います。亡くなった方はもちろん、生きている人のためにも、少しでも法を広めることができればと思います。1988年生まれです。 以下のテーマについては、私にお任せください(^_-)-☆ ★★★ 仏教的な生き方とは何か? 縁起と空と中道とは何か? 慈悲、仏教のいう優しさとは何か? 大乗仏教は仏教なのか? 日本仏教と原始仏教は相容れるのか? 輪廻するとはどういうことか? 正しさ、真理、善とは何か?論理と倫理とは? 科学的正当性と仏教は相容れるのか? 罪悪感をどのように扱うか? 菩薩を目指すためにはどうすればいいか? ★★★ また、過去のオンライン相談では、菩提心を育む呼吸法について紹介しました。

利他行だけでは悟れないが、自行の助けにはなる。

もともとの仏教は瞑想によって悟りを得ることを目的にしていたのですが、今の日本の仏教の主流である大乗仏教はそれに加えて利他行を重視します。

今も上座部仏教では瞑想を中心にしていますね。

日本の仏教でいえば、念仏も禅も法華も一種の瞑想には違いなのですが、それより自行利他が重視されます。

自行が悟りを得る道なら利他行はその結果でもあり、また自行にフィードバックされる存在だとも思います。

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浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)、その後宗門大学(浄土宗の僧侶養成機関)である大正大学佛教学部で学び加行(住職修行)を得るための修行)を受け浄土宗教師(浄土宗の正式なお坊さんとしての、住職資格)を取った後、某寺に入寺、京都の大本山黒谷金戎光明寺内にある浄土宗教師修練道場(浄土宗教師が更に1年間研鑽を務める場)にて1年間修行研鑽、その後も研鑽を続け、教学(浄土宗を中心とした仏教の教え)・法式(お経のあげ方・儀礼)・詠唱(ご詠歌・和讃)・布教(教えの伝え方)・雅楽の研鑽を積んでいます。 がしかし、もともと小学校時代から精神疾患で、大学で精神科初診、20代は通院しながら、学業・修行・僧職を勤めていましたが、30代で仕事と結婚のストレスがさらにかかり、大きく心身の体調を崩して入院して以来、寺は休職しています。そして、今は寺を離れ草庵に暮らしています。 2003年に大きく体調を崩して、入院以来入退院を23回繰り返しています。40代過ぎから、徐々に精神的に安定し、50代手前の最近少しバイトが出来るようになりました。デイケア、障害者職業訓練、B型就労支援事業所とステップアップし、単発派遣から初めて、バイトで、2社に勤めて、体調悪化で入院してこの2社をやめて、今は3社目のアルバイトをしています。その中で得られた人間的成長の気づきもフィードバックしていきたいと思います。 精神障害2級の統合失調症・双極性障害・不眠症持ちです。 こんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。 連絡先は、blister55.takahiro@gmail.com
対応できる時間は昼間です。音声のみにてお願いいたします。体調などにより対応できない場合もあります。専門分野は精神疾患・恋愛・人生・仕事・浄土教などです。よろしくお願いします。

質問者からのお礼

お坊様方、ご意見ありがとうございます。
参考にさせていただきますね。

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