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瞑想ではなく利他で悟れるでしょうか?

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昔、道を求めて様々な人と話をしました。
とある尼僧は『お坊さんでも悟っていない人もいる。一般人でも悟っている人がいる。しかしそれは2-3年程度。2-3年したら元の人間に戻る』とおっしゃっていました。これは本当ですか?一般人でも悟れるのですか?

とある行者は『あらゆる修行をしまくったが最も自己を成長させてくれたのは利他(ボランティア活動)だった。利他こそが修行である』『滝に打たれるのも激しい修行をするのも自分の為にするなら自己満足に過ぎなかった』と言っていました。

お坊さんとしての修行をしなくても利他をし続ければ悟りへ近づけるのでしょうか?

私事ですが、事情があって出家は出来ませんし、家でもできる坐禅や瞑想はとても苦手なんです。何度かチャレンジしましたが向いていないと感じています。
しかし、そうであっても(坐禅・瞑想が出来なくても)利他行だけで悟りに至れるのか気になって質問させていただきました。色々なお坊様の御意見をお伺いしたいです。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご質問ありがとうございます。
私は悟っていませんので答えられないのですが、少なくとも利他行によって悟りに近づくということは正しいと解釈しています。ただし自利と利他は深く関係しているものですから利他だけに拘らずに自利も利他も行うのが良いと思います。
なお坐禅や瞑想はちゃんと信用できる師や先生に教わってくださいね。独学では間違えますからね。
また、悟りとは覚りとも書きます。目覚めるということです。あなたが今やるべきことが果たして悟ることなのかどうかということなど、広い視野で自分や物事を見ることも忘れないようにしてくださいね。
なお、心の中の慈悲に従って利他に専念していたら悟っていたということなら素晴らしいことですが、悟る為に利他を行うというのは少し動機が不純かなとも感じますね。決して悪いことでは無いのですけどね。
合掌

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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ななしさん、こんにちは!

>2-3年したら元の人間に戻る』とおっしゃっていました。これは本当ですか?

仏教でいうところの「悟り」という状態は、難しい言葉でいうと、「因縁を離れている」というのを性質として持っているので、元に戻ったりするようなものではない、ですね。
つまり、悟りと呼ばれる状態が、条件(縁)によって成り立つような性質だとすると、その条件が壊れてしまえば、結果である悟りの境地も壊れてしまう、ということになります。薪が尽きたら、燃えている火も消えるように。仏教でいう悟りはそのような性質(無常)ではなく、たとえて言えば、すべてが燃え尽きた状態ですね。仏教の悟りの世界を表す「涅槃(ニルヴァーナ)」という言葉には、「吹き消す」という意味があります。

>お坊さんとしての修行をしなくても利他をし続ければ悟りへ近づけるのでしょうか?

究極的に言えば、そうも言えると思います。つまり、「利他」という行い自体も、「利他行」という修行の1つになりますね。ただ、悟りへ近づくという目的を真剣に考えるのであれば、世間でいう素朴な意味での「人のためになる行い」ということだけにこだるより、ある程度、師僧につくなり、仏教の教学を学ばれて、「利他とは何か?」ということを学ばれた方が、近道かなぁ…。
もちろん、ななしさまが必死に利他に励むという経験からも、その悟りへの智慧が開けてくる可能性は大いにあります。

>家でもできる坐禅や瞑想はとても苦手なんです。何度かチャレンジしましたが向いていないと感じています。

お、そこは心配無用だと思いますよ!利他の心を知り、実践する…という、この過程の中で、瞑想によって得られる心の状態にいたることも、できるからです。

私も、「瞑想がうまくいかないな~」と悶々としていたときも、お通夜で、遺族の方の涙をみて、自然と慈悲の心が湧いてきたり、衣をたたむときに、感謝の気持ちと共に、「今ここ」に集中するマインドフルネスな状態が訪れたりと、実践の中から瞑想の境地が得られるということは大いにあります。

ななしさまも、利他の実践をしていくと、ある日、足を組んで座っていく中で、自然と皆の苦しみが無くなるようにと、少しでも楽になるようにと心から願える日が来るかもしれません。そのように思うだけでも、それは立派な「利他行」です。心の行いが、最も要となります。

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菩薩になりたいです。 仏教は、ほんとうにすばらしい教えだと思います。...
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利他行だけでは悟れないが、自行の助けにはなる。

もともとの仏教は瞑想によって悟りを得ることを目的にしていたのですが、今の日本の仏教の主流である大乗仏教はそれに加えて利他行を重視します。

今も上座部仏教では瞑想を中心にしていますね。

日本の仏教でいえば、念仏も禅も法華も一種の瞑想には違いなのですが、それより自行利他が重視されます。

自行が悟りを得る道なら利他行はその結果でもあり、また自行にフィードバックされる存在だとも思います。

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浄土宗僧侶です。 寺に生を受け、小学校5年で、得度(お坊さんになる儀式)...
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質問者からのお礼

お坊様方、ご意見ありがとうございます。
参考にさせていただきますね。

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