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生きる意味が欲しいです

回答数回答 2
有り難し有り難し 8

最近、ふとした時に涙が出てきてしまい、止まらなくなってしまいます。

仕事や恋愛など、色々理由はあると思うのですが、
それらをどう改善しよう、という考えではなく
死んで全て終わりにしたい、と考えてしまいます。

死にたい、というよりは生きていたくない、の方が近しいように思います。

それは、自分が誰かの1番になりたくて、愛されたくて、でもそのように感じられないから
だと思います。

誰かに愛されることと、その人をわたしの一生使って愛することが、私の生きる意味なのではないかと考えているのですが、
そのような気持ちを返してくれる人はこの先見つからなさそうです。

恋人にこういう事を伝えると、決まって、重い、と言われます。

そういう反応をされた時、過剰に傷ついてしまいます。
他人の気持ちはコントロールできないとわかっているけども、
他人からの評価がとても気になります。

他人のことではなく自分のことにもっと注力すればいいのかもしれませんが、
基本的に私は自分のことが好きです。
今までの人生も、満足しており、家族のことも大好きです。

なので、おそらく私は周囲にもっと甘やかされたい、もっと愛されたいです。
それが感じられないと異常に気にしてしまい、もう自分が生きる意味が無いのかも、死んでも誰も悲しまない、
そう思います。

かなり自分勝手な考えであることは、書いていても承知の上なのですが
こういった悩みはみんな持ってると思います。

こんな中、みんなどうやって生きているのでしょう?
生きる意味が他人でなく自分の中にあるなら、それはなんなのでしょう?

人はみんな、誰かを幸せにする為に生きていると思います。
わたしは、誰かを幸せに出来てるのでしょうか。
それを感じられないから、死にたいと思うのでしょうか。

どうやったら、抜け出せますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「誰かの一番」ではなく「みんな自分が一番」

Asu様、はじめまして、高山一正と申します。

「誰かの一番」という言葉にピンときたので『相応部(サンユッタ・ニカーヤ)』という経典の一節をご参考までにご紹介いたします。
お釈迦様の時代の大国であるコ-サラ国の王さまパセーナディと、その王妃であるマッリカーとのエピソードになります。(1000字以内の回答にするため編集しています)
***
 ある時、コーサラ国のパセーナディ王がマッリカ-王妃と二人だけで宮殿の屋上におりました。とても静かな夜で月の光に照らされた美しい風景を眺めながら、王さまは王妃にふと尋ねます。
『マッリカーよ、あなたにとって一番愛しいものは誰であるか』
王さまは王妃の甘いお答えを期待していたのでしたが、王妃は深く考え込んで仕舞い、しばらくしてから静かにお答えになりました。
『私には、私自身よりも愛しいものはございません。』
 そして逆に王妃が王さまにお尋ねになります。
『では、王さまはご自身よりも、愛しい者がこの世にございますか。』
すると、王さまも王妃と同じように少し考えられてから
『マッリカーよ、私もよくよく考えてみれば、私自身よりも愛しい者は誰もいない。』
とお答えになられたのです。

こうして『誰よりも自分が一番愛しい』ということを互いに承知はしたのですが、後日、お釈迦さまのところへ行き、事の次第を伝えてみましたところ。

お釈迦さまは静かに仰せられました。
『人間はだれでも自分ほど愛しい者はいないのです。そして他の人にとっても、又すべての生き物においても自分ほど愛しい者はいないのです。だからこそ、自分自身を愛しいと知る者は、我が身に引き比べて、他の者を害してはなりません。』
お釈迦さまのお言葉を聞いたパセーナディ王とマッリカ-王妃の二人の心は満ち足りたすがすがしい思いになりました。
***

この説話から私がうなずけましたのは、「みんな自分が一番大切」ということ。
そこで「自分自身を愛しく大切に思うなら、決して他の人を害してはならない。」というお釈迦様の言葉も響きます。「それぞれの命がそれぞれにとって一番愛しいのですから、縁あるいのちすべてを大切に考えていきましょう。」という教えと受け取っています。なかなか実践するのは難しいのですが大事にしている説話ですのでご紹介させていただきました。

Asu様にはこのお話どのように映りましたでしょうか。

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都内の浄土真宗本願寺派の小さなお寺で住職をしております、いっしょうと申しま...
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これからも愛されて生きる

拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちを受け止めさせて頂きます。あなたがおっしゃるお気持ちはよくわかります。私達は誰しも人に愛されたい大切にされたい、価値ある存在でいたいと思うのが本性です。あなたがそうお感じなさるのも当然だと思います。
ですから私達は大なり小なり人に愛され大切にされ、そして人を愛し大切にしたいと思って生きています。自分を価値ある存在だと思いたいと感じているのです。

あなたが今感じている以上にあなたは価値ある存在です、とても大切な方です。
私達はそれぞれ有限ですし自分のことが先ず大事ですから人への愛情もバランスはその時々で違っています。完全円満な状況というのはなかなかないものです。
とはいえあなたも私ももう既に実は仏様や神様やご先祖様方に完全円満に愛されて育まれて今生きていますし、存在しています。私達は普段それに気が付かないだけです。
あまた無限の中から私達は生命を与えられてあまたの命を頂いて育まれて生きています。これは当たり前のようで当たり前ではありません。あなたの為にあなたが生きる為に与えられているのです。
そして今までも、恐らくこれからも多くのご縁の中で生かされていくのです。その中でかけがえのない出会いがあり、これからもずっと沢山の方々から愛されていつくしまれて生きていくのです。

そのかけがいのない方々とのご縁に生きてあなたは己の人生を生き抜いていかれ、天寿を全うしていきます。その全うする時にも仏様やご先祖様方や親しい方々があなたを導き優しく迎えて下さいます。
どうか安心なさってください、あなたはこれからも皆さんと一緒に生きていきます。

あなたがこれからもずっと沢山の方々に優しく見守られて育まれて、皆さんと一緒に心から豊かに生きて、人を愛しいつくしみながら生き抜いていかれます様心より仏様や神様やご先祖様方にお祈りさせて頂きます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

kousyo kuuyo azuma様

拝読いたしました。
ありがとうございます。
わたしはわたしで、生きていていいのだと誰かに言って欲しかったのだと思います。
「生きてください」「生きないとダメ」ではなく、私が周囲の沢山の物や人とこれからも生きていきますと教えてくれてありがとうございます。
わたしも栃木県の出身でして、佐野はよく行きます。
今はコロナ禍で帰省が難しいですが、落ち着いたらゆっくり栃木で自然とふれあいながら、ゆっくり過ごす時間を作りたいと思います。

高山一正 様

拝読いたしました。ありがとうございます。
自分を1番好きになる…というのは、以前考えたことがあります。
その時は、「自分は自己評価と他己評価が合わさって、初めて成り立つものだから、自己評価ばかり高くてもダメだ。自己評価は低くないので、他己評価を追い求めなければ」と考えていました。

しかし、今こうして考えてみると、自分の気持ちは自分が一番良く解りますし、自分が取りたい行動を取れるのは自分だけですね。
そして、一生かけて他人を愛することができるなら、
一生かけて自分を1番愛することもできるはずですよね。

今はこのように考えられていますが、かならずまた考えがブレる時が来ると思います。
1人では生きていけないと思うからです。
でも、1番になりたいでは無く、あくまで1番大切なのは自分で、
でも支え合って生きていける程度に他人と関わっていけばいいのかもしれないですね。

期待するのは自分だけにすれば、期待に応えるのも自分になりますしね。

非常にすっきりしました、ありがとうございました。

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