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心の美しい人になりたい。

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有り難し有り難し 26

心の綺麗な人になりたい、正しくありたいとずっと思っているのですが、そうで無い自分が嫌で悩んでいます。
自分勝手で人を平気で傷つける自分が嫌でふとした時に死にたくなります。
真に心の美しい人になるために必要な事は何ですか。どうしたら人を受け入れる事ができるようになりますか。人を信じられるようになりますか。許せるようになりますか。

2020年5月21日 13:59

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そもそも美しい、正しいとはなにか考えてみませんか?

正しい事を出来ない自分を嫌ったりして悩んでいるのですね。非常に自分に厳しい方のようです。ですから、間違いを自分にも許せない。でもそれは裏を返すと人も許せないという事ですよね。

その在り方自体が美しいのか?あなたの言う美しさは、いかなる失敗もない完璧さのみを美しいと言っているのかもしれない。美しさとか正しいというのは、非常に危うい概念でもあります。だって、観る人によって美しさや正しさは違いますから…。だから一度、分かったつもりになっている美しさや正しさとは何か考え直してみる事も良いかもしれません。(池田晶子さんという哲学者がそういう作業をしていますよ。『14歳からの哲学』)

もう一つは、仏教の「縁」(縁起)という言葉を知っていますか?様々な条件の上に我々の存在は成り立っているという意味です。偶然の出会いとも言えます。
実は私たちが良いことが出来るか悪いことしてしまうかは、様々な条件にかかっている部分がある。例えば体調が良いときは人に優しくできても、忙しかったり余裕が無かったら誰でも、人に意地悪になったり、嫌な事をしてしまう。(今コロナで、子供に厳しくしてしまうお母さんからの相談が多いです)そう考えると、私達が自分の力でやっているように見える事でも、実は色々な人に支えられたり、様々な条件が整ってする事が出来てるんですよね。学校で学べているのだって、色々な幸運が重なってですよね。

そう考えると、私が思うのは美しい人というのは、自分が頑張っている事、正しく出来ている事を誇ったり、自慢したりするのではなく、自分が頑張れている事に感謝できる人なのではないでしょうか?自分が頑張っていることを自慢する人は多いですよね。でも、自分が頑張れている事、生かされていることに目が向き感謝する人は少ない。そして仏教が目指すのは後者の方向性です。生かされている事実に目覚める。そうすれば、他者の失敗や、愚かさも少しは許せる人に成るんではないでしょうか?
親鸞という人は教科書に載るような素晴らしい僧侶ですが、「私の心には蠍と蛇が住んでいる。自分の心の奥に必ず悪の心がある」という怖ろしいことを言っています。あなたの相談に近いですね…。よかったら親鸞の本や池田晶子さんの本を読んで探求してみてほしいです。
【おすすめの本】14歳からの哲学、14歳の君へ(池田晶子)、歎異抄、ブッダと親鸞(東本願寺刊)

2020年5月21日 15:37
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浄土真宗本願寺派の僧侶です。宗門の学校で5年間「仏教」の授業を担当してきま...

心を改善する本来の目的を見失わないようにする

拝見いたしました。

こんな寓話があります。
ある人がイタチを罰しています。
するとイタチが「僕は良いことをしてる!ネズミやトカゲを捕まえてるじゃないか」と言います。
しかしその人は「確かにそうだ。でも鶏を殺したり、家を荒らしたり、食べ物を取ったり、ためになることよりも悪いことをしている」と告げるんです。
こんなふうに、自分の悪いところは目を瞑り、良いところだけをみて自分いい存在だ、と勘違いする。
どこか附に落ちてしまうお話です。

さて。
心の綺麗な人になりたい、そう思えているだけですごいことです。大人になってもそう思えない人はたくさんいます。
そんなあなたはきっと、心が綺麗な人がする行動を意識的にとっていることでしょう。
ですが心が綺麗な人がする行動をたくさんしているはずなのに、罪悪感が強いからか、たまに起きる悪い行動ばかりが目につく。
つまり、イタチと正反対です。
自分の良いところは目を瞑り、悪いところだけみてしまう。
これは褒められたものではありません。
成長するためには改善が必要、そして改善には問題発見が確かに大切です。
ですが問題だけ見ていては本質を見失います。本来の目的は成長するためなのですから、成長できた証を確認することもまた大切なことです。

心は複雑です。完全に白黒つけられるものではありません。
少なからず黒が存在することは仕方ないと割り切った上で、白の割合を大きくしていく。
そんな心構えが大切なのではないでしょうか。

2020年5月21日 15:28
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質問者からのお礼

おっしゃる通りです。最近自分のことが許せなくて他人に対する目も厳しくなり、いつも人を疑っていました。やはり、人は自分を愛するようにしか人を愛せないのですね。まずは不完全な自分を許す事から始めてみます。何が正しいか正しくないのか、よく考えてみれば自分で判断を下すのはほぼ不可能なことでした。自分にも人にも欠点があることを認めて、受け入れるようにしていきます。ありがとうございました。

「変わりたい・自分を変えたい」問答一覧

どんな親であるべきか

この度は相談に乗っていただきありがとうございます。 まず初めに私の基本情報です。 [家族構成] 私(男) 20代後半 妻 20代前半 長子 生後5か月 【前提エピソード】 以前、妻とともに妻のほうの実家に長子を連れて遊びに行っていたときに、 以下のようなことを言われてしまいました。 ================ あなたは無愛想なところがあって、 愛想の良い〇〇さん(妻の親族の夫(私と同年代))のほうは 誰にでも愛想が良くて印象がいい。 あなたのその無愛想な感じは直したほうがいい。 長子も同じように育ってもいいか考えてほしい。 あなたに良いところがあるのもわかってるけど… ================ 【相談①】 実際に私は無愛想な人間です。 あまり初めて会う人に積極的に話すタイプではないし、 相槌を打ったり、大きくリアクションを取って場を和ませる愛想の良いコミュニケーションはできないタイプです。 上記の妻の指摘を受けるまで、こういったところも自分の個性だと思っていましたが、 子が私の背中を見て育つことを踏まえ、愛想の良いコミュニケーションができるよう 変わっていくべきなのでしょうか。 自分というものがどんどん他人から見て都合のいいものになっていってしまいそうで もやもやしています。 【相談②】 私は「打算的で自分にメリットがないと動き出せず、心からの親切ができない」というタイプの 価値観で20年以上を生きてきました。 そんな私が他人に心からやさしく、親切ができるような人格になるにはまずどうすればよいでしょうか。 「親になっていくこと」と「自分が自分じゃなくなっていくんじゃないか」という 感覚に挟まれて自分の良さや価値観がよくわからなくなってしまっています。 どうかご回答をお願いいたします。

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定職に就いて自立した生活を送りたいです。

大学を卒業してから 神職の資格を取得するために神道の学校に行ったんですが、授業のレベルの高さと人間関係に苦しんでしまい、それから一年ぐらい家に閉じ籠ってしまいました。 親と相談してその学校を退学することになったので、就職活動をしていこうと心に決意しました。社会経験がない自分がいきなり就職活動をしていくのは難しいと思い、バイトでスキルをある程度身につけてから正規雇用で働ける仕事を探していこうと思ったのですが、受けに行ったバイトの面接で落とされました。一つだけでなく、もう十箇所以上にもなります。全て落ちてしまうので、自分の人格そのものを否定されているのではないかと思った私は「働こうと思っていてもどうせ社会が自分を必要としてくれないだろう」と悲観的になってまた部屋で引きこもりニート同然の生活を送るようになりました。もう既に25歳になった私もこんな状況から抜け出したいと思い、バイトの面接を受けに行ったのですが、そこでも落とされました。定職どころかバイトにすら就けないと思うと私はこれから先どうやって生きていけばいいのかと毎日毎日が絶望的でしかありません。一日でもこんな状況を変えたいのですが、どのようにしていけばいいのでしょうか?

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人に親切にするのが怖いです。

こんにちは。読んでくださってありがとうございます。 私は昔から、人に親切にすると、ひたすら面倒が見の良い為に、人に依存されること、なにかと言いがかりを付けられる事が多いです。 生来の世話好きと、相手の気づいていない場所を指摘するためか、良かれと思ってやればやるほど、相手を惨めにしてしまうようです。 私自身も、喜んでくれる人をついつい世話をしてしまう依存的な性格故に、この数年、人に差し伸べる手を引っ込めて、親しい人以外との距離を置いていました。 その代わり、相手が気づかないように何かをしたり、まだ起こっていないトラブルを事前に備えたりしていました。 最近では「なんでそんな事をするのか」と聞かれることでそれにも疲れ、頼まれた事だけをしていました。 しかし最近、とある方から 「普通の人はそうやって、見えないように親切にするんじゃなくて、目の前の人に手を差し伸べる事で親切にしてるんだよ。普通は気に入らなくても差し出され親切は受け取って、それを縁と呼ぶんだよ」と言われ、 ある一日、思い切って、何かの行動を起こす前に「よかったらやりましょうか?」と、声を掛けてみました。 それで感謝も頂いたのですが、何故かその後、血の気が引いて、顔が強張り、手が震えて呼吸が浅くなってきました。 どうやら私は、人に真っ向から親切にすることが怖いようです。原因は良く分かりません。 幼い頃に良かれと思って言ったことが間違っていて嘘つき呼ばわりされた事か、親身に接した人に同じ感情を常に持つように圧力を掛けられた事か。 このままでは、親切にしてもしなくても、嫌々で人を助ける人みたいです。 人と縁を結ぶどころか、益々孤立して行きそうです。 そもそも、誰かを助けるということはそれで失敗した時に、相手の責任を負うくらいの覚悟が必要なのでしょうか。 親切に対する恐怖は、慣れれば克服できるものでしょうか。

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黙り達者になりたい

こんにちは。毎度お世話になっております。 今回の質問の内容ですが、話し上手でも聞き上手でもなく黙り上手、つまり黙り達者になりたいというものです。 そう思い至った経緯についてですが、そもそも私はお喋り、雑談の類が苦手で、気心知れた友人とはくだらない話もしますが、基本的に口数は人よりも少ないです。 昨今よく言われるコミュ障という奴です。なのでコミュ力の高い人たちが楽しそうに会話をしている様を「羨ましいな」と思い側から眺めていました。   どうして自分はあんな風に上手に人と関わりあえないのだろう、どうして自分は面白い話の一つもできないのだろうとずっと思っていました。勝手に疎外感さえ感じていました。 しかし以前hasunohaで質問をした際に頂いた「視点を変える」という考え方をきっかけに、話下手という自分のコンプレックスの見え方が変わってきました。 別に無理して話さなくても良いのではないだろうか。別に会話が続かなくても良いのではないか。会話が途切れた瞬間に死ぬ訳でもないし。 そもそも自分が欠点と思っていた話下手は欠点ではなく、見方を変えれば(大分無理やりですが)黙ってるのが得意という風にも捉えられるのではないか。 口達者がいるなら黙り達者という人種がいたっていいのではないか… 自分に合った生き方をすれば良いじゃないかと思い、そうして自分なりのコミュニケーション方法を模索してみようと思い至りました。 初めは聞き上手になろうとも思ったのですが自分は愛嬌愛想に乏しく、巧みに相槌や質問を駆使して相手からどんどん話題を引き出していくというのは話し上手よりもパワフルでハードルが高い感じがし、結果黙り達者という造語に辿り着きました。 基本的には黙っていたいのです。しかしただ黙っているだけでは目の前の相手は不快なだけですし、それでは黙り達者の名が廃ります。 黙り達者を目指す者としては、相手には気持ちよく喋ってもらい、時には互いに沈黙の時間すら心地よく過ごしたいのです。 結局は聞き上手の技術も必要にはなるのですが、相手に不快感を与えずに物静かにしておくにはどうすれば良いでしょうか。取り敢えずは肩の力を抜いて微笑みながら人と接していこうと思っています。

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