心の美しい人になりたい。
心の綺麗な人になりたい、正しくありたいとずっと思っているのですが、そうで無い自分が嫌で悩んでいます。
自分勝手で人を平気で傷つける自分が嫌でふとした時に死にたくなります。
真に心の美しい人になるために必要な事は何ですか。どうしたら人を受け入れる事ができるようになりますか。人を信じられるようになりますか。許せるようになりますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そもそも美しい、正しいとはなにか考えてみませんか?
正しい事を出来ない自分を嫌ったりして悩んでいるのですね。非常に自分に厳しい方のようです。ですから、間違いを自分にも許せない。でもそれは裏を返すと人も許せないという事ですよね。
その在り方自体が美しいのか?あなたの言う美しさは、いかなる失敗もない完璧さのみを美しいと言っているのかもしれない。美しさとか正しいというのは、非常に危うい概念でもあります。だって、観る人によって美しさや正しさは違いますから…。だから一度、分かったつもりになっている美しさや正しさとは何か考え直してみる事も良いかもしれません。(池田晶子さんという哲学者がそういう作業をしていますよ。『14歳からの哲学』)
もう一つは、仏教の「縁」(縁起)という言葉を知っていますか?様々な条件の上に我々の存在は成り立っているという意味です。偶然の出会いとも言えます。
実は私たちが良いことが出来るか悪いことしてしまうかは、様々な条件にかかっている部分がある。例えば体調が良いときは人に優しくできても、忙しかったり余裕が無かったら誰でも、人に意地悪になったり、嫌な事をしてしまう。(今コロナで、子供に厳しくしてしまうお母さんからの相談が多いです)そう考えると、私達が自分の力でやっているように見える事でも、実は色々な人に支えられたり、様々な条件が整ってする事が出来てるんですよね。学校で学べているのだって、色々な幸運が重なってですよね。
そう考えると、私が思うのは美しい人というのは、自分が頑張っている事、正しく出来ている事を誇ったり、自慢したりするのではなく、自分が頑張れている事に感謝できる人なのではないでしょうか?自分が頑張っていることを自慢する人は多いですよね。でも、自分が頑張れている事、生かされていることに目が向き感謝する人は少ない。そして仏教が目指すのは後者の方向性です。生かされている事実に目覚める。そうすれば、他者の失敗や、愚かさも少しは許せる人に成るんではないでしょうか?
親鸞という人は教科書に載るような素晴らしい僧侶ですが、「私の心には蠍と蛇が住んでいる。自分の心の奥に必ず悪の心がある」という怖ろしいことを言っています。あなたの相談に近いですね…。よかったら親鸞の本や池田晶子さんの本を読んで探求してみてほしいです。
【おすすめの本】14歳からの哲学、14歳の君へ(池田晶子)、歎異抄、ブッダと親鸞(東本願寺刊)
心を改善する本来の目的を見失わないようにする
拝見いたしました。
こんな寓話があります。
ある人がイタチを罰しています。
するとイタチが「僕は良いことをしてる!ネズミやトカゲを捕まえてるじゃないか」と言います。
しかしその人は「確かにそうだ。でも鶏を殺したり、家を荒らしたり、食べ物を取ったり、ためになることよりも悪いことをしている」と告げるんです。
こんなふうに、自分の悪いところは目を瞑り、良いところだけをみて自分いい存在だ、と勘違いする。
どこか附に落ちてしまうお話です。
さて。
心の綺麗な人になりたい、そう思えているだけですごいことです。大人になってもそう思えない人はたくさんいます。
そんなあなたはきっと、心が綺麗な人がする行動を意識的にとっていることでしょう。
ですが心が綺麗な人がする行動をたくさんしているはずなのに、罪悪感が強いからか、たまに起きる悪い行動ばかりが目につく。
つまり、イタチと正反対です。
自分の良いところは目を瞑り、悪いところだけみてしまう。
これは褒められたものではありません。
成長するためには改善が必要、そして改善には問題発見が確かに大切です。
ですが問題だけ見ていては本質を見失います。本来の目的は成長するためなのですから、成長できた証を確認することもまた大切なことです。
心は複雑です。完全に白黒つけられるものではありません。
少なからず黒が存在することは仕方ないと割り切った上で、白の割合を大きくしていく。
そんな心構えが大切なのではないでしょうか。
質問者からのお礼
おっしゃる通りです。最近自分のことが許せなくて他人に対する目も厳しくなり、いつも人を疑っていました。やはり、人は自分を愛するようにしか人を愛せないのですね。まずは不完全な自分を許す事から始めてみます。何が正しいか正しくないのか、よく考えてみれば自分で判断を下すのはほぼ不可能なことでした。自分にも人にも欠点があることを認めて、受け入れるようにしていきます。ありがとうございました。