何が目的で働くのか
私は最近会社を辞めて、無職の状態です。
以前の仕事は営業職でしたが、毎日営業電話をひたすら掛けたり(相手に怒鳴られることもありました)、売上向上の指導を受ける日々で、一人一人売上ノルマも課せられており凄く辛かったです。
そんな中で私は、こんなに辛い仕事をしていて誰が幸せになっているのだろう?この会社の上層部の人達だけじゃないのか?と思いました。
「社会人は辛いものだ」という言葉もわかります。私が甘えているだけかもしれません。ですが、私としては凄くストレスがたまる日々で、仕事の価値も分かりませんでした。
私は仕事をするなら社会に貢献出来るものがいいのだな、と今更ながら思います。
どうせ生きるなら何か人の役に立ちたい、何かを遺して死にたいと思います。
しかし、世の中の会社は金儲けが目的で社会貢献とはかけ離れているものが多いように感じます。(もちろん世の中に必要な会社も沢山ありますが。)世の中の人たちは何が目的で働いているのでしょうか。私の考え方がおかしいのでしょうか?ただの偽善者なのかもしれないとも思います。毎日モヤモヤしています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「三方よし」-でも「よし」って何だろう-
前職では心身ともにお辛い状態まで追い詰められてしまったのですね。そのような中でよく頑張ってこられました。誠にお疲れ様でした。
さて、何が目的で働くのかとのことですが、それは人によりけりというのが前提としても、基本的には生活する為でしょう。では生活をする、すなわち生きていくのは何のためか?という問いについては実は誰もわからないままに必死で働いているのかもしれません。
あなたの問いもその根底にはそうした疑問があるのかもしれません。
さてさて、その根源的な問いは一旦おいておいて、働く意義について考えてみましょう。
あなたは前職によってそれを見失わったわけですが、一つの事例を全てに当てはめて考える事はよくありません。これはあなただけでなく、人間の思考のクセですが自分の知識や経験を揺るぎ無い基準として考えてしまうために視野が狭くなり自分を追い込んでしまうのですね。
世の中には沢山の仕事、沢山の会社があります。少し休んで身心が回復したらまた勇気を持って社会に飛び込んでみましょう。
その際にあなたは「社会貢献したい」という思いをお持ちです。仏教の教えがルーツとしてある近江商人の経営理念に有名な「三方よし」というものがあります。
売り手よし、買い手よし、世間よし
というものですね。これが商売の理想的な在り方なのでしょう。売り手だけでなく買い手も満足、買い手だけでなく売り手も満足する。さらにはそれが世間にとってもよいもの、つまりは社会貢献になるというものです。
あなたの前職の会社はそのバランスを欠き、さらにはそれを修正できなかった面もあるのかもしれません。
しかしここで注意したいのは「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「よし」ですね。
何が良いのか、何が良くないのか。これが難しい。自分にとっては良くても他の人はそうでないかもしれないし、その逆もあります。あなたが見出せなかった前職でも、あなた以外の人ではそれを見出していた方もいるのかもしれません。
次にあなたがどんな仕事、どんな会社とご縁があるかは分かりませんが、時折自分の価値基準を疑ったり、他人の価値基準を見習ったりすることも大事なのでしょう。
それは出会いの中で広がっていくものです。出会いこそが凝り固まった個を破ります。
お抱えの問いは大切なものなので、実際の歩みの中で確かめていってはいかがでしょうか。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
視野が狭くなっている自分自身に気がつくことができました。また社会に出て働いていく中で、自分が抱いている問いの答えとなるものを見つけられたらいいなと思います。
少し前向きな気分になりました。ありがとうございました。