耐えること
日常生活で人間って欲望にかられると、我慢できなくなることがあると思います。子どもならまだしも、大人がこの気持ちを抑えられなくなったとき、どうしたらいいのでしょうか?
冷静に考えれば大したことではないのでしょうが、自分の意思を貫き、道を逸れずに強く正しく生きるための助言がございましたら、ご回答をお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
欲望は無限、得られた喜びは一瞬
仏教では根本的な苦しみの1つに「求不得苦」というのがあります。これは、欲しいものを得られない苦しみ、そして欲しいものを手の入れてもまたさらに欲しいものができて、尽きることのない欲望が湧いてくる無限の苦しみのことを言います。
これは、とても恐ろしいことだと思いますよ。この苦しみを理解していなければ、俗に成功者と言われる富裕層だって無限の物欲に溺れて、お金がいくらあっても足りないし、ものを得る喜びだって失われてしまうのですから。
性欲も食欲も同じです。
欲望というのは無限です。無限でありながら、得られた喜びはごく一瞬です。
そういった欲望を完全に止めることはほぼ不可能ですが、その欲望を抑えることで心は大分軽くなります。最近では断捨離という言葉も流行っていますが「無所得」という物を持たない、というのは案外楽なものであります。
欲望を抑えることを「我慢」ととらえるのではなく、「どうせ一瞬の快楽なんだから、後から楽になる」と考えてしまえば気持ちが楽になると思います。周りや自分を変えることは難しいですが、考え方のベクトルを少し変えるだけで人生はこんなにも楽になるものです。
心の点検を
こんにちは。釜田 隆介と申します。
ご質問読ませて頂きました。
欲望が抑えられないとの事、ご存じかと思われますが仏教には「知足」といって「今の自分自身の身の回りにある物に満足して、感謝する。」という言葉がございます。
仰られる通り、人間欲望にかられると我慢できなくなります。かといって「何とか我慢して欲望を持つな!」といわれても無理な話です。それに人間から欲望を取り上げてしまったら人間が人間で無くなってしまうと思います。
この欲望という煩悩は物欲、性欲、食欲、睡眠欲、名誉欲、承認欲、自己実現欲など上げだしたらキリがない厄介ものです。そういった無数の欲望に対して私達は、「もっと○○したい。もっと○○になりたい。」と高望みしてしまい結局、欲望蟻地獄に少しずつ引き込まれ執着という名の苦しみに最終的に陥ってしまう訳です。 ですからそうなる前に先ず、「脚下照顧」自分自身を事あるごとに客観的に省み、自分の身の丈、「今の自分は、欲望蟻地獄にはまってないな。」と確認する習慣を身に付ければ自然と現在、自分が身を置いている内側、外側の状況に満足し、感謝する心が養われ、穏やかな気持ちで日常を過ごせるようになると思いますよ。
釜田 隆介 合掌
身をまかせるのも一つ
一つにその欲望に身を任せることもありです。どんなに抑え込もうとしても自分が耐えられなくなってしまっては己の心や体がおかしくなってしまいます。
ただ、その欲望がなされる前にそのことが先ず善であるか、悪であるかをすこし考えること、そして世の中の中で正しいことか、やはり害を生すことなのか、つまり法律や社会的な慣習を犯すことなのかを考えてみることです。ことが行われた後では取り戻せないものごともあります。
或いはまた別の方法で違った欲望を満たす方法もあります。今と違ったところに身を置くのも一つの方法かもしれません。
わたしは坊主ですが、ある日突然バイクに乗って自分の行きたい場所までひたすら走っていくことがあります。その時は自分の立場や今の状況をできるだけ考えずにひた走ります。
いずれにせよ無理に抑え込むことはあまり良いとは思いません。(坊主が言うのもなんでしょうが)
こころとからだは正直です。抑え込まずに楽にして頂き、そして自分を見つめられるようになって頂ければと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
欲はないと言ったら嘘になってしまいますが、考え方次第で、いろいろな解釈ができるんだなぁと思いました。
毎日の生活が普通に終えて、その一瞬でも欲を満足できたら幸せなのかと。。
すべてを満たそうとすれば、蟻地獄にはまってしまうから、背伸びしないで私に相応しい範囲で人生を楽しみたいと思います。