分からない
何も分からなくなってしまいました。
私は、昔から第一に周りの目を気にしながら生きてきました。人のちょっとした仕草、言動、些細な事にも気付きます
正確に言えば気付いてしまうのです。
気にしようなんて思っている訳ではありません。勝手に気にして生きてしまうのです。人の欲しい言葉に気付き、与え、空気を読み、人を笑わせようとわざと馬鹿のようなフリをしてその場を盛り上げたり。そのせいで私には友達も多く、誰にも嫌われるタイプではありません。寧ろ多くの人に好かれるのです。
一見、嫌味のようだし悩みなんてものは無いだろうと思われるかもしれません。実際「名無しは悩みとか無さそうだよね〜」と言われることが多くあります。私もみんなが言うような具体的な悩みは確かにありません。
ただ、思うのです
私ってどこにいるのだろうと。
いや、きっとこの世のどこにも私は居ないのです
ふと、「あ、死にたい」と思うのを辞められません。他人の機嫌を取ってしまうのを辞められません。どうしたってどこに居たって、空気を読んで生きる事をやめられません。私だけ、からっぽ
自分が何を悩んでいるかも分かりません
どうしたいのかも分かりません
ただ何の為に自分が生きているのかが分からない
1人になった瞬間、死にたいと思ってしまうんです
すみません、書きながらも何を伝えたら良いのか分からなくなってしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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過度な迎合を見直しては
こんにちは、初めまして。
「書きながらも何を伝えたら良いのか分からなくなってしまいました」とのことですが、私には言われている意味が分かります(正確に言えば、分かるような気がします)。
私は、あなたには周囲への配慮が出来る、そして真面目に自分のことを考えられる素晴らしい人だと思います。この前提で、以下の感想を書きます。
あなたにとって、問題は2つの点があると思いました。
1・自分ではなく他者を基準にしていること
「空気を読み、人を笑わせようとわざと馬鹿のようなフリをして」ということは、相手の意図を察する以上に相手に阿る(おもねる)レベルにまで達しています。いわばピエロのような役割を。でも、それは相手の歓心を買う目的であって、対等な友情、関係を築くことが出来ません。だから、あなたは相手の歓心を買うことができなくなったら見捨てられる、そのことに怯えているのではありませんか。
「人の機嫌を取ってしまうのを辞められません」「私だけ、からっぽ」という実感に至るのも無理はありません。だから、せめて意図を察するまではやっても、ピエロほどは止めておこう、それが第一歩ではないでしょうか。そうすれば意外と、あなたが何もしなくても、あなたを受け入れてくれる仲間であることに気付けるかもしれませんよ。そこを冷静に見極めましょう。
2・どんなときでも味方、がいますか
文面からは分かりませんが、あなたにはどんなときにでも自分の側に立ってくれる人はいますか。ご両親、ご兄弟、或いは恋人かもしれません。
もし、あなたがこのような人が居るのに、友人関係だけで悩んでいるのだったら、それは友達選び、友達とのコミュニケーションの問題に限定されましょう。しかし、あなたにそのような人が不在である、と感じているならばもう少し根本的な問題になります。
ただ、その場合、不在であるということ、不在と感じているということは別問題です。本当は、ご両親が、周囲の人があなたの味方になってくれているのに、あなたの側が独り相撲してこれを受け止める余裕がないことも考えられます。
先程のことと重複しますが、まず行き過ぎた相手へ合わせる姿勢を自重して、一度落ち着いて観察し見て下さい。あなたは、「からっぽ」ではなく、「からっぽ」だと思いこんでしまっているかもしれませんよ。
ご参考になれば
質問者からのお礼
お礼が遅れてしまい、申し訳ありません。
自分ではなく、他人を基準に生きている事、とても当てはまりました。
他人に飽きられ、捨てられることを恐れているのかもしれません。
周りを見るだけでなく
自分のことも見渡せるように努力したいと思います。
ありがとうございました。