卑猥な二次創作イラストを忘れられません
私はある作品が好きなのですが、その作品の登場キャラクターを汚しているような絵(二次創作物)を見てしまいました。以来、その作品に触れるたびに絵のことを思い出し、嫌な気分になってしまいます。
非常にお恥ずかしい話ですが要するに嫌な絵とは、キャラクターに対し性的な行為を行なっている場面を描いたものです。
本当にお恥ずかしいのですが、私は女の子キャラ同士が仲良くしているのを眺めることを好む人間なので、とても悲しい気持ちになります。
「あの絵はあくまで他人の妄想だ」「原作だけが本物だ」と考えるようにしても、どうしても脳裏をよぎります。
世間的にみればあまりにもくだらない話なので、他人にも相談できず、当然精神科の先生に言うような内容でもありません。しかし、数年ほど嫌な気分に囚われ続けています。
その作品で楽しく盛り上がっているファンの人々に対し、ねたみの感情が湧いている実感もあり、自己嫌悪を感じます。
また、この経験から性的な描写・発言を過剰に拒むようになってしまい、他者との会話などにも支障が出ています。
執着を捨ててしまう(好きな作品に関わるのをやめる)ことで楽になることは想像がつきます。しかし、好きなものを冷静に切り捨て新しい楽しみを探す気にもなかなかなれません。
大変な状況にある人々ばかりの社会の中で、こんな矮小なことを「悩み」と言うのことには本当に恥ずかしさを感じます。ですが、5年以上の付き合いであるこの気持ちに蹴りをつけるため、どうか助言を頂けませんでしょうか。
長文を失礼致しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
放せば新しく掴める
ごもれび様
優譽と申します。僭越ながら一言申させていただきます。
愛着のある大事な作品を汚されるのは悲しい事です。お辛い事と存じます。
少しだけ例え話をさせて下さい。
お気に入りの服に、どうしても取れないシミが出来てしまった。我慢して着るのも辛い。捨てるのも惜しい。でも、この汚れた服に囚われている間は、新しい服を着るチャンスを失ってしまいます。捨てるか残すか。これはどちらが正解ではありません。でも、どちらを選んでも辛いなら、私ならばお気に入りの服は一度遠ざけて新しい出会いのある方を選びます。まだ愛着があって捨てきれないけれど、いずれ新しい素敵な服との出会いによって自然と古い服を処分する。
ごもれび様の悩みも同じようなものです。愛着があれば寂しさが出るのは当然の事。でも、その愛着も新しい出会いによって変化していくのですから。
汚されたものを我慢して使うか、汚されたものを手放して新しいものを求めるか。どちらを選んでもマイナスならば、少しでもプラスに繋がる選択を選んでみてはどうでしょうか?
仏教書を読まれているごもれび様には釈迦に説法かも知れません。取り留めのない文章、どうかお許し下さい。合掌
質問者からのお礼
優譽様
このような質問に対し、真摯に向き合って頂けた事、大変嬉しく思います。
例えのお話も大変分かりやすく思いました。やはり、手放すことが大切なのですね。
私としては、まだ執着を捨てようと
きっぱり気持ちの整理ができたわけではありません。しかし、お話を聞いていただき、お言葉をいただいたことで、悩み方の方向性が変化したように感じています。
別の角度からもう少し悩んでみて、それでもだめならば、執着をやめ手放すことを考えたいと思います。
本当にありがとうございました。