愛猫の最期を看取れませんでした。
13年飼った愛猫が亡くなりました。
半年前から腎不全を患い、1週間前から水も餌も口にしなくなり見る見る弱り、最後は私の布団で寝たきりになってしまいました。
そして昨晩、私が朝起きたら亡くなってました。夜中に何度か少し動く気配がしたのですが、その時はお別れする瞬間を迎える事が怖かったのと、まだ大丈夫だろうという希望を自分に言い聞かせて寝てしまいました。その事を今になって大変後悔しております。
また我が家に子供が生まれる前は我が子の如く溺愛しておりましたが子供が生まれてからは、なかなか相手をしてあげられず寂しい思いをさせてしまったのではないかと自責の念で一杯です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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その子の為に
私は動物の供養をさせて頂く機会が多いのですが、その折りに後悔を口にする方は少なくありません。
あの時こうしていたら、と思ってしまうのは仕方のないことであり、過去を変えることは誰にも出来ません。
だからこそ、前を向いて頂きたいのです。
向こうの世界で安住している家族が、悩み苦しんでいるあなたを見てどんな気持ちになるでしょうか?きっと悲しむと思います。
心にぽっかりと空いた穴を埋めるには時間が必要ですが、少しづつ埋まっていきます。
今すぐ、とは言いませんが、あなたが元気で明るく生きていくことこそが供養になります。
どうぞ、ご自身を大切に。
その愛情を忘れないで
命が尽きる時間やタイミングは
私たちには わかりません
最後を看取るのは 本当に難しいのです。
大切なのは
息がある間にどれだけ大切にしたか
楽しい時間を過ごしたかだと思います
もう この世にない命ですが
手を合わせて仏様にお気持ちを伝えてお願いしてください
そして もし又小さな命とのご縁があれば
今回の後悔や自責の思いを学びとして
新しい命を大切にすることです
世の中には沢山の命が人の都合で奪われています
その愛情を必要としている命は
まだたくさん世の中に溢れていますよ