野生動物の命について教えてください
仕事の帰り道で山あいから車のとおる所まで野生動物の赤ちゃんが2匹さまよっいて周りには母親もおらず車にひかれたりカラスがねらってはいけないと思わず心配になりとっさに車から降りて近づくと一匹は母親と思ったのかひざにのり、もう一匹は溝に落ちかけていました。放っておくことができずどうしてあげたらよいかわからなくて動物病院に電話するとつれてくるかは自身で判断して下さいと言われたので動物病院へ連れていきました。
この子たちはあらいぐまの赤ちゃんでした。せんせいは外来種で畑を荒らしまわる害獣だから保健所にいき殺処分されるといわれました。こんな小さな命で明日も生きられるのかわからないのにそんな言葉は受け入れられずそれなら元の場所に返してきますというとそれは出来ません、法律違反で罰金をとられるしそんな安い額じゃないですときつく言われました。すがる思いで助けを求めにいったのに私のせいでこの子たちの命を奪うことをして取り返しのつかないことをしてしまったらどうしよう、連れてきてしまった後悔と不安と恐怖におちいりました。それでも私はなにもしていないこの子たちの命は人間の手で奪われてしまう、そして一生その事を後悔しながら生きていくのは法律違反や罰金なんかよりも比べものにならないくらいにこの子達の命のほうが大事に思えました。この子達はなにも罪がないのだから連れてきた私を殺処分してほしいくらいです。動物病院のせんせいもどんな命にたいしても平等に助けてくれると思っていたのにきっと犬やら猫絶滅危惧種なら助けるのでしょう、どうして同じ生き物なのにみんなただ必死に生きているだけなのに人間は自分たちの危害をおよぼすからと殺す法律なんか人間のえごだと思います。私はせんせいのいうことなど受け入れられずそのまま無視して連れて帰りごめんねと泣く泣くもとの場所に返しました。食べるものがなくて明日は生きられなくてももしかしたらどこかで生き延びてくれているかもとそのほうが希望がもてそうです。私は賢くないので命の選別ができません。自然界ではこの世のものはすべて平等の命なのに人間界においてはそうではない確かに牛や豚や鳥の命をいただき生かされていると感謝はしてます。そういいながら、蚊や虫を殺す自分もいます。どうしてもこの不条理に悲しくたえられません。どうしたらわりきって生きていったらよいのでしょうか。
今年5月で50歳になりました。 人生半分折り返し地点で 知的障害の子育てなどでたくさんの方に支えていただきここまで生きてくることができました これからは私も微力ながら感謝の気持ちを持ち恩返しの人生をおくりたいと思っています。
他人と自分を比較して自己嫌悪におちいってしまいます まだおきてない出来事などに勝手に想像して不安になります 人に対して勝手に自分でこんな人だと先入観を持ってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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蚊を殺すのと同じ
蚊取り線香を焚いたら一日に何匹も蚊を殺しています。
それと同じです。
人間に限らず私達生きものは、自分の害になる生命を殺します。
アライグマも蚊も同じです。
アライグマの赤ちゃんは可愛いからかわいそうと言うのは、人間の勝手な好き嫌いによる差別ではないでしょうか。
「これは私の差別意識からくるストレスだ。法律だから仕方ない。」と割り切ってはどうでしょうか。
可哀想だから逃がすがオッケーなら、犯罪者も可哀想だから刑務所から逃がせ、と言う人もいるかもしれません。
可哀想だけど仕方ない。法律だから。
質問者からのお礼
早速お忙しい中お答えいただきありがとうございました。やはり自分で無意識のうちに好き嫌いをきめていたのかもしれません。感情的に行動する人間ばかりだと世の中成り立ちませんよね。そのために法律もないといけないのですね。自分の身勝手な感情に気付くことができました。ありがとうございました。心より感謝いたします。