働かないといけないくらいなら生きたくない
私は仕事が嫌いです。
でも仕事をしないとお金がないから生活できません。
やりたい事も特になくただ生活のために働く意味がわからなくなりました。
働かないといけないくらいならいっそ生きるのをやめてしまいと思ってしまいます。
友達もおらず、趣味もなく、なんのために働いているのか、生きているのかわかりません。
人間不信
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「働かないで生きる」について考えてみました。
お世話になります。
「働かないと生きていけない」は、この国が作ったルールだと考えます。私達がそれを認めた事はないのに、ずっと前に決められた事です。私はこの事が納得できていない人間で、生きているだけでお給料もらっていいと考えています。
だって、人生って、それだけで「苦」なんですもん。仏教で言う一番大きな苦しみの一つが「生きる事」なんですもん。「生きているだけで頑張っているんだから「対価」があっていい」と思いますし、「生きているだけで凄い事だ」と思うんです。
「1日成さざれば、1日食らわず」なんて百丈禅師はおっしゃいますが、生きてるだけで「成しとるわい」と思うし、「働かざる者食うべからず」なんて言葉は働けない者に対するヘイトだと思います。
悲しい事に日本のルールは「勤労の義務」を強いています。そこで「働かないで生きる」には、ルールを変えるか国を出ていくかという選択になります。ルールを変えるのは大変そうなので止めるとして、国から出ていくには「お金」がかかります。
ここで、質問を読み直しますれば、
>なんのために働いているのか、生きているのかわかりません。
とあり、私はこれが質問の核だと考えます。
恐らくmiさんは、(前回の質問にあるいろんな事が起こり)自分の目標が見えなくなってしまったのでは?と考えます。
なんの目標もなく暮らすのは本当に辛いです。なんだか、「命を消費しているだけ」の様に感じるものです。そこで…
「働かないで生きられる国へ移住する」
という「目標の叩き台」を作ってみました。(どんどん叩いてください。)
友達がいないって事は「後ろ髪を引かれる事がない」って事ですし、趣味がないって事は、日本にいないとできない趣味って沢山ありますが、これが無いって事です。要はmiさんはとても身軽な状態だって事で、この事は日本を旅立つにはメリットにしかなりません。
思うに、この身軽な状態は「寂しさ」と一体となっていて、今miさんが感じてらっしゃるこの感覚を「無常観」と呼ぶのではないかと考えます。仏教では人と群れる事を「衆苦」と呼ぶくらいで、miさんはそういった「煩わしさ」とは無縁の境涯に立つことができたと考えます。まるでお坊さんです。
ですので、今は尊い「修行」に入られたのだと思います。答えは自身で見つける物なんですが、このご修行のお手伝いができればいいなと思います。