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死後の世界についてお聞きしたいです。

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有り難し有り難し 21

質問、ご覧いただきありがとうございます。

地獄に落ちるのが怖い。
最近そう考えるようになったので色々検索してみると、色々な種類の地獄があり、どれもとても苦しいものだ。回避するためには生前の行いが大切であると、書かれているのをたくさん目にしました。

とりあえず、自分の歩んできた人生を改めて振り返ってみると、嘘をついたり、逃げたり、虫や植物の命を奪ってしまったり、色々な人、物に好き嫌いをしたり良くないことを考えてしまったり、文句言ったり悪態をついたり……とても、多くの良いとは言えない行動をしておりました。そして、このままでは地獄に落ちてしまうと思いました。

なので今から少しずつ行動を改善しようと思い、正しい道や考え、行動について調べてみて、懺悔をし行動を改めること、物事に執着しないこと、煩悩をなくす…などを知りました。こういったことは自分で考えて変えていくものだともおもいますが、行動、執着や煩悩についてどう改善していけば良いのかはっきりと掴めません。自分が良いと思ってしたことでも、もしかしたら良くないことをしていることもあるでしょうし、あの人のようになりたいと憧れその人を目指すことや、この有名人の方がとっても好きだと好意を抱くこと、これ欲しいな、あれ欲しいなという欲を抱いてしまうこと、どこまで制御すればいいのかも分かりません。

また、この行動改善についての話とは少し異なってしまうのですが、地獄に落ちてしまった場合、そこから出ることは一生出来ないのでしょうか。

もしかしたらこうやって誰かに答えを求めること自体も甘えなのかもしれない、ともおもいますが、まずは皆様のご意見をお聞きしたいと思い、こちらで質問をさせていただくという選択をさせて頂きました。

読みにくい文章で申し訳ございません。10代の未熟者ですが、なにかお返事頂けたら幸いです。

よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一考察

とてもご質問が理路整然しており、勉強されておられますね。

死後や、地獄のことに関しては、多くのご質問やお答え、又、ネットや書店でもたくあり、多すぎて混乱してしまうほどです。又、それぞれの考えでお話をしますから、何が正しく、そうでないのかも判断しかねます。
このような課題は、はるっこさんの直感を信じて腑に落ちたら、そうなのかなと受け入れるしかありません。そんな訳で私の一考察としてお話します。

まず、死後について語る前に(すでに私見ですが)私たちの成り立ちは、魂と意識と肉体の三つから出来ていると考えています。死というのは、肉体のみが滅びるる(変化する)だけで、あとはそのまま継続している。ゆえにそういう意味での死後はあるとなり、又、生まれてくる前もあり、受精受胎して時に、魂、意識、肉体が合体するとも言えます。
ただし、死後、生まれる前にについては、次元が違うのでうまく説明ができません。あるとか無いとかの議論になるのでしょう。

地獄についても、死後、順に大王の前で裁きを受けてという事が書かれた章もありますが、今まで戻ったきて「あの地獄は大変だった」という話は聞きません。それよりも、地獄、餓鬼、畜生、修羅・・(仏教の十界:十種類の世界観)は、生きている瞬間瞬間に、心と肉体で体験していることで、地獄界は、まさしく最悪なイメージされる世界です。餓鬼界は食べたくても食べれない(食事制限もそうでしょう)、畜生界は不貞、不倫など、修羅界は、暴力、闘いなど、さらに怒り、貪り、怠けなど、それこそ、はるっこさんが反省されている行動、思考そのものです。ゆえに死後でなくてもこの世ですでに体験している世界です。ゆえに、反省もせず何も分からず亡くなれば地獄はあるのでしょう。

しかし、その反対が、はるっこさんが反省、懺悔、改善されようとしている世界は地獄ではないということになり、これも生きている間に出来ること、せねばならないことなのでしょう。むしろ、その為に生まれてきたとも言えるのです。

良くないことが分かったからこそ、善き方向へ向かうことができるのです。となれば、今からでも遅くないので、善き事を心掛け行動することが大切です。そして、自らも向上し、他人をも救う行動が、正しく菩薩の行いということです。実践しましょう。
ゆえに、地獄へ落ちても、何度でもやり直せるということです。(文章限界)

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて極楽浄土への往生を願うならば、どんな悪人でも阿弥陀仏は見捨てずに、その人の臨終時に極楽浄土に迎えてくださいます。
だからご案心を。
で、仮に来世で地獄に墜ちた場合は、地獄で死ぬまでは地獄からは抜け出せないのではないでしょうか。
それは、人の世界も同じで、人間は死ぬまで人間を辞められません。
天、阿修羅、餓鬼、畜生もそうだと思います。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

鈴木海祥様
お答え頂きありがとうございます。
鈴木海祥様のお言葉には大変共感・納得出来ることが多くありました。1つ1つ自分がやってきたことについての善悪や、継続・改善すべき点について改めて考え、特に今自分に足りてないと感じる、「他の人に手を差しのべる」ということが、生きているうちに出来るようになりたいと思います。

願誉浄史様
お答え頂きありがとうございます。
確かに、良き道であろうと苦しい道であろうと、与えられた道は死という終点につくまでは終えられないなと共感致しました。
南無阿弥陀仏をお唱えし、極楽浄土への往生を願うこと、実践しようと思います。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
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死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ