死後の世界についてお聞きしたいです。
質問、ご覧いただきありがとうございます。
地獄に落ちるのが怖い。
最近そう考えるようになったので色々検索してみると、色々な種類の地獄があり、どれもとても苦しいものだ。回避するためには生前の行いが大切であると、書かれているのをたくさん目にしました。
とりあえず、自分の歩んできた人生を改めて振り返ってみると、嘘をついたり、逃げたり、虫や植物の命を奪ってしまったり、色々な人、物に好き嫌いをしたり良くないことを考えてしまったり、文句言ったり悪態をついたり……とても、多くの良いとは言えない行動をしておりました。そして、このままでは地獄に落ちてしまうと思いました。
なので今から少しずつ行動を改善しようと思い、正しい道や考え、行動について調べてみて、懺悔をし行動を改めること、物事に執着しないこと、煩悩をなくす…などを知りました。こういったことは自分で考えて変えていくものだともおもいますが、行動、執着や煩悩についてどう改善していけば良いのかはっきりと掴めません。自分が良いと思ってしたことでも、もしかしたら良くないことをしていることもあるでしょうし、あの人のようになりたいと憧れその人を目指すことや、この有名人の方がとっても好きだと好意を抱くこと、これ欲しいな、あれ欲しいなという欲を抱いてしまうこと、どこまで制御すればいいのかも分かりません。
また、この行動改善についての話とは少し異なってしまうのですが、地獄に落ちてしまった場合、そこから出ることは一生出来ないのでしょうか。
もしかしたらこうやって誰かに答えを求めること自体も甘えなのかもしれない、ともおもいますが、まずは皆様のご意見をお聞きしたいと思い、こちらで質問をさせていただくという選択をさせて頂きました。
読みにくい文章で申し訳ございません。10代の未熟者ですが、なにかお返事頂けたら幸いです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一考察
とてもご質問が理路整然しており、勉強されておられますね。
死後や、地獄のことに関しては、多くのご質問やお答え、又、ネットや書店でもたくあり、多すぎて混乱してしまうほどです。又、それぞれの考えでお話をしますから、何が正しく、そうでないのかも判断しかねます。
このような課題は、はるっこさんの直感を信じて腑に落ちたら、そうなのかなと受け入れるしかありません。そんな訳で私の一考察としてお話します。
まず、死後について語る前に(すでに私見ですが)私たちの成り立ちは、魂と意識と肉体の三つから出来ていると考えています。死というのは、肉体のみが滅びるる(変化する)だけで、あとはそのまま継続している。ゆえにそういう意味での死後はあるとなり、又、生まれてくる前もあり、受精受胎して時に、魂、意識、肉体が合体するとも言えます。
ただし、死後、生まれる前にについては、次元が違うのでうまく説明ができません。あるとか無いとかの議論になるのでしょう。
地獄についても、死後、順に大王の前で裁きを受けてという事が書かれた章もありますが、今まで戻ったきて「あの地獄は大変だった」という話は聞きません。それよりも、地獄、餓鬼、畜生、修羅・・(仏教の十界:十種類の世界観)は、生きている瞬間瞬間に、心と肉体で体験していることで、地獄界は、まさしく最悪なイメージされる世界です。餓鬼界は食べたくても食べれない(食事制限もそうでしょう)、畜生界は不貞、不倫など、修羅界は、暴力、闘いなど、さらに怒り、貪り、怠けなど、それこそ、はるっこさんが反省されている行動、思考そのものです。ゆえに死後でなくてもこの世ですでに体験している世界です。ゆえに、反省もせず何も分からず亡くなれば地獄はあるのでしょう。
しかし、その反対が、はるっこさんが反省、懺悔、改善されようとしている世界は地獄ではないということになり、これも生きている間に出来ること、せねばならないことなのでしょう。むしろ、その為に生まれてきたとも言えるのです。
良くないことが分かったからこそ、善き方向へ向かうことができるのです。となれば、今からでも遅くないので、善き事を心掛け行動することが大切です。そして、自らも向上し、他人をも救う行動が、正しく菩薩の行いということです。実践しましょう。
ゆえに、地獄へ落ちても、何度でもやり直せるということです。(文章限界)
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて極楽浄土への往生を願うならば、どんな悪人でも阿弥陀仏は見捨てずに、その人の臨終時に極楽浄土に迎えてくださいます。
だからご案心を。
で、仮に来世で地獄に墜ちた場合は、地獄で死ぬまでは地獄からは抜け出せないのではないでしょうか。
それは、人の世界も同じで、人間は死ぬまで人間を辞められません。
天、阿修羅、餓鬼、畜生もそうだと思います。
質問者からのお礼
鈴木海祥様
お答え頂きありがとうございます。
鈴木海祥様のお言葉には大変共感・納得出来ることが多くありました。1つ1つ自分がやってきたことについての善悪や、継続・改善すべき点について改めて考え、特に今自分に足りてないと感じる、「他の人に手を差しのべる」ということが、生きているうちに出来るようになりたいと思います。
願誉浄史様
お答え頂きありがとうございます。
確かに、良き道であろうと苦しい道であろうと、与えられた道は死という終点につくまでは終えられないなと共感致しました。
南無阿弥陀仏をお唱えし、極楽浄土への往生を願うこと、実践しようと思います。