後悔と自己開示
前回の質問に書いたように、私は常に人に迷惑をかけて生きています。怒られてしまうのも自分に原因があり、自己肯定感を下げることになってしまっているのは自分のせいだと自覚はありますが、それでも人並みに生きる、所謂「普通」であることを望みます。
私は昨年あった修学旅行で、普段話している仲の友人と同じ部屋になりました。しかし数日経った頃、唐突に「自分が人並みに行動していることが恥ずかしい」「人と同じく生きていることが申し訳ない」という気持ちに陥り、集団行動の最中にも関わらず、人と関わることも億劫になり、話しかけられても反応せず(反応する自分が嫌で)、食事も食べず部屋にこもってひたすら考え事をしていました。当然周囲の人からは、心配より苛立ちの気持ちがあったと思います。それがわかっていても、動くことが出来ませんでした。
その結果、私はまたも友人を失いました。後から勇気を出して「ごめん」と謝りましたが、「もういいよ」と、呆れて見放されてしまいました。これは相手は一切悪くなく、人のせいにして心を楽にすることも出来なかったのでひたすら後悔しました。
私は、自分の世界に閉じこもり、人の話が聞こえても反応しないというのが今回限りでなく頻繫にやってしまいます。(自分が恥ずかしいと思う以外にも、タイミングを逃してしまってもうやり直すことが怖くてできないと思う、逃げ癖もあると思います。)これを人に伝えて理解してもらうべきなのですが、それに対しても勇気が出ません。もう最初から嫌われてしまうのが怖くて。
人に理解してもらって普通に生きる。これが私の望むことです。世の中「普通」は存在しないようで、何かしらの基準はあると思います。「自分らしく生きる」が、社会を生きていく上で通用しないと…。
長くなってしまい申し訳ないです。私の特に気になっていることは、
1、自己開示をどの程度までして良いか、するべきか
2、後悔が少なく人並みに生きるためにはどうすれば良いか ということです。他にも気になる点があれば、教えていただきたいです。
よろしくお願いいたします。
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拝読させて頂きました。
あなたはこの場所でもあなたのお話できる範囲でお気持ちをおっしゃって下さいね、あなたの中でたまっているお気持ちをあわてないでゆっくりとお話しなさってあなたの中から出してしまいましょう。
またできれば一度専門医やカウンセラーにも診察を受けてみてもいいかと思います。そして専門医からもあなたの心のありようを伺ってみてもいいかと思います。自分の心の状況を客観的に確認してみることもいいですからね。そして必要とあれば治療を受けてみてもいいかと思います。
あなたの心の中には沢山のことがつまってしまっていてあなたの心のキャパシティがいっぱいになっているように感じます。ですからあなたが悪いのではないと思いますよ。
先ずはあなたのお気持ちをお聞かせくださいね。あなたをおまちいしていますね。