嫉妬のせいで一生幸せになれない
嫉妬したくなくてもとにかく嫉妬してしまって一生幸せになれないです。
自分は不器用 aさんは器用 嫉妬
自分は仕事が出来ない bさんはできる 嫉妬
自分はブサイク cさんは美人 嫉妬
自分は恋人がいない、モテない dさんは恋人いる モテる 嫉妬
自分は金持ちじゃない eさんは金持ち 嫉妬
など例え自分に彼氏が出来たとしても他のところで嫉妬してしまい死ぬまで嫉妬が消えないんじゃないかと思います
嫉妬が酷すぎて嫉妬についての本とか読みました嫉妬はなくなりません
アドバイスをください
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
分っていて手放さないのはなぜ?執着しているところはないですか
嫉妬を無くす簡単な方法はないでしょう。実践的なやり方を求めるなら、やはり心理学などから勉強した方が良いのかもしれません?
私なりに、仏教の視点から想う所を述べたいと思いますので、参考程度にしてご自身で考えてみて下さい。
まず仏教では、比較すること自体が驕り高ぶりだと考えます。なぜなら、生きていること自体が尊い事だからです。自分の力で生きていると思っているが、実はそうではなく、様々なご縁によって生かされています。様々な命を頂いていかされています(他の生き物の生命です)。ところが我々はそれを忘れ、あれが出来なきゃ価値がない、これが出来たら価値があると比べることに時間を費やし、頑張ったら誇り・自慢します。頑張れていない自分だめな自分は卑下します。同じ目線で他者をも裁いていきます。これは本来の命の尊さを見失っている姿です。大事なことは頑張っていることを誇る事ではなく、「頑張れていることを感謝できること」でしょう?つまり、人と比較している時点で、命の尊さを見失っている非常に驕り高ぶっているのです。ありのままの命の価値、ありのままの自分の命を認め、生きていく事が大事なことだと仏教は考えます。もう、人と比べている場合ではない。命が生かされているという厳粛な事実を見つめ、生かされている事実に感謝できる人に成る方が大事ではないですか?
また、あなたは、比較して嫉妬するという事は、不平等と感じているのかもしれません。ただ人間は、死ぬという一点で平等です。どんな人も死にます。どんな人も病みます。年老います。その一点で平等です。そう思ったら、人に嫉妬している場合ではないと思えませんか?ああ、あの人も死ぬのかと思ったら、私は嫉妬するのが馬鹿らしくなりました。
あなた自身嫉妬で幸せになれないと思っているのなら、「どうするか」ではなく、辞めるか辞めないかでしょう。厳しいことを言うようですが、幸せになれないと思いながら嫉妬を手放さないというのは、どこかで楽しんだり、嫉妬に執着しているのではないですか?
期待されていたような答えではないかもしれません。ご自身苦しんでいると思います。簡単に答えを出さずに、また色々な角度から考えたり、悩みを抱えつつ生きたてみたりしてください。あなたにとって、この問題が実は自分を知るための大きなテーマなのかもしれません。身体に気をつけてお過ごしください。