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罪を背負いながら、強く生きるには

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生きる智慧を、頂きたいです。よろしくお願いします。

私には、この人だけをずっと愛しぬける自信のある恋人がいます。
ですが以前まで私は、援助交際や浮気をしていました。
その理由は、当時の私の思考はこうです。「大好きで、たくさん会いたいけど寂しがって甘えたら迷惑?他の男性と遊べば少しは気が晴れる?」「彼は社会人でお金に余裕があって周りにも綺麗な大人の女性が多いんだろうな。それに比べて私は余裕がない…お金を稼いで可愛くなって褒めてもらいたい!」「自分が大嫌いだ。自分を壊したい。体を、自分を汚してもいい。」「自分なんて好かれてないんじゃないか?自分の価値なんて0だ、誰でもいいから壊してくれ」
そんな気持ちでやっていました。

今になりそれは自分の弱さや未熟さで、ただ自分自身や正しさと真剣に向き合わず逃げていた事に気づきました。彼と5年付き合って、騙していた時期は長いです。私はこの罪に気づき、今まで騙してたこと、これ以上騙すことも極悪だと思い 全て失う覚悟で、彼に打ち明けました。
彼は、とても悲しみました。それから彼からの態度が180度変わり 攻撃的になりました。彼は5年間、私のことを100%信じていてくれたと言ってました ですが今は 誰のことも信用できなくなった と言いました。

私は、空っぽのような性格で何色にでも染まりやすいです。今まで私は無駄な嘘や甘えで、生きていましたがそれに気づいて無駄なものを消したとき、唯一心に残っていたのが"彼への愛"と趣味の"絵"でした。
空っぽの私でも、悪に染まり大切な人を傷つけるより 善に染まって大切な人を大切にしたい という気持ちが強いことも気づきました。

私はとんでもないことをしました。今後の人生はその罪を背負い、誰よりも強く生きていかないといけません。
そして彼は、「もう好きじゃない、腹立つけど、しばらく様子みる。成長してないと感じたらもう関わりたくない。」そう言いました。真意はわかりませんがチャンスを頂きました。

同じ過ちは絶対しません。私は行動に示していかねばなりませんが、どんな気持ちで生きていけばいいか分かりません…自分に勝ちたいです。

責任は全て私にあります。慰めの言葉が欲しいわけではありません。どんなお言葉でもしっかり受け止めたいです。強く生きたいです。アドバイスを頂きたいです。
どうか、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

縁起

ご相談拝読しました。

気持ちの不安定さが行動にも表れてしまった時期があったのですね。今の彼とこれからも共にいたいと願い、その上で自分がどうあるべきかをお悩みなのですね。

さて、仏教的に見れば私たちは縁起する存在です。縁とは条件や環境などの意味です。つまり条件や環境によって今の私やあなたとして起こって存在しているのです。

思考や感情も例外ではありません。縁に条件付けられて起こっています。条件・環境と無関係に独立して起こるものはありません。

つまり、過去のあなたの気持ちも行動も、その時はそうせざるを得ない縁の下にあって起こったものです。

でも縁は変わる。成長や気づきを得たあなたから過去を振り返ると自責の念に陥るかもしれませんが、当時は当時のあなたとして最大限にやるべきことをやってそのようになっていたのでしょう。

過去はなかったことにはならず、考慮すべきものではありますが、過去に執着するのは彼もあなたも苦しみを深めるだけでしょう。

あなたは変わった。そしてこれからも変わり続けている。その変化の中の一瞬を取り出して、この時の私やあなたでないと一緒にいたくないという関係であれば衝突が生じやすいです。

お互いに変化し、関係も変化し続けるからこそ共にいることができるのではないでしょうか。

もう伝えた以上は過去を隠す必要も逃げる必要もないでしょう。開き直ることも言い訳も必要ありません。その時の縁の自分があって、今の自分を形成する縁ともなっている。過去は受け入れてこれからに活かしてこその過去です。

過去も未来も今のあなたにおいてある。彼は彼で今の彼を条件づける縁の中でもがいているのでしょう。

縁によっては伴うことも離れることもある私たちですが、いただいた縁に対しどう行動を選択するかということで未来は変わり得るものです。

全ては縁によるという責任からの解放を得てください。そしてさらにはそこからもう一歩踏み出して、それでも縁に対する行動選択の主体性を私は放棄しないと決意し責任を背負い直す。そこにこそ健全な救いがあるように思います。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武文法様、ご回答して頂きありがとうございます。

仏教でいう諸法無我という教えのことなのでしょうか。
「その時の縁の自分があって、今の自分を形成する縁ともなっている。過去は受け入れてこれからに活かしてこその過去です。」このお言葉を聞いて心がスッとしました。
過去を思い出して、後悔や相手の気持ちを考えたり自責の念に駆られていましたが 私はそれを打ち明け変わろうとしている。今を、これからを生きていくのですから 未来は今の自分がつくっていくものですから、一瞬一瞬をより良い未来のために生きねばならないという事にまた気づかせて頂きました。

それから、最後の「全ては縁によるという責任の解放を得る。それでも縁に対する行動選択の主体性を私は放棄しないと決意し責任を背負い直す」
そのお言葉を頂き、自分自身でしっかりと決意を固めようと思います。

私の相談を読んでくださったこと、知恵をくださったこと、感謝いたします。
吉武文法様、ありがとうございます。

縁起、縁を忘れずに、精進していきます。

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