毎日悲しく虚しいです
孤独な人生でした。今年で25歳です。
抜け出したいと思って、今日まで必死で生きていたのですが、最後に信じた恋人と別れた事で、この運命は変えられないとわかり、絶望してしまいました。
5歳の頃に両親が離婚し、父親に引き取られましたが、父親には離婚の原因となった再婚予定の女性がいたこともあり、育児放棄され、一人暮らしをしていました。当時は家に一人でいることが自分の当たり前だったので、寂しいと思う気持ちすらありませんでした。私は父親にずっと、世界で一番愛していると言われていましたので、それを信じていました。
私は、早々に家を出て、働きました。
仕事は充実していて、仲間にも恵まれました。
大人になり、父親に再会したときに、「寂しい思いさせてすまなかった」と謝られたとき、私は、ただ寂しい思いをさせられていたのだと、ようやく知りました。
家族と、家族として暮らしたことがありません。
私は小さい頃からずっと、1人で戸締りをし、1人で寝起きし、1人でご飯を食べて過ごしています。
いつかは、素敵な人と結ばれて、子供を産んで育てて、温かい家庭を築けるのだと、そう願っても良いんだと信じて来ました。
けど、失恋くらいで、大袈裟かもしれませんが、私はやっぱり1人で生きていくしかないのかなと思うと、この寂しさや虚しさが一生続くかもしれないのだと思うと、涙が止まりません。
恋人には、一人で生きていきたいと言われて振られてしまいました。
これまでお付き合いした方に、別れ際にまで一緒にいて欲しいなどと、食い下がるようなことはありませんでした。
ですが、別れを決めた彼の気持ちが分かった上で、あなたにだけは一緒にいて欲しい、私を選んで欲しい、どうか1人にしないでほしいと言ってしまいました。
結局、お別れを覆すことは出来ず、泣き腫らし、生きる気力もありません。
私は、孤独が恐ろしいです。
年齢を重ねる毎に強くなっている気がします。
いつかはこの手をとって、ずっとそばにいてくれる人に会える、その時まで生きようと決めていました。
けどもう、なんだか疲れてしまいました。
どの道孤独しか用意されていない人生なら、と、歩くことが出来なくなりました。
塞ぎ込む毎日です。生活費も遅かれ早かれ尽きてしまうのが分かっています。
寂しくてたまりません。
消えてしまいたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
与えられるより与えることかもしれません。
Myantさんのお話を読んているだけで悲しくなりました。
幼い子が一人、寝起きし、生活をする。想像しただけでも耐えられません。もちろん父親はいたのでしょうけど、愛情は愛人に向けられている方が多かったと思いますから、常に辛かったと思います。
さて、過去のことをいつまでも引きずるなと言っても、そう簡単には大切な時間は取り戻せないことも事実です。心の奥底にある寂しさ、みじめさは消し去ることは難しいかもしれません。
しかし、だからと言って、そのことに執着していても何も変わりませんし、そのマイナス的な思考が、さらにそのような現実を引き起こしてしまいます。
Myantさんのことを理解してくれる、包み込んでくれるような人が現れれば救われますが、されど求めてばかりでは何にも変わりません。
求めても得られないのなら、自分から与えていくしかありません。もちろん金品を与えるのではなく、Myantさんが経験したような同じように今、寂しく生きている人は大勢います。その人たち、その子たちに何かできないでしょうか?
すぐには行動できなくても、もちろん強制でもなんでもありませんが、そのような考え方になられることで、道が開けそうな気がします。
あなたを必要としている人は大勢います。
言葉だけで何の力にもなりませんが、Myantさんのこれからの人生が好転することを祈ります。