親孝行の満足度はあるのですか。
先日 実父が亡くなりました。
私は看護師なのに、何ひとつ父の看護をしてあげられなかった。何のために看護師をしているんだろうと、とても空しいきもちです。
さらに、もっと近くに居てあげられたら、もっと孫も見せに来れたし、顔も出せたのでは無いだろうかと 父に申し訳ない気持ちで一杯です。
遠くに住んでるからそこ「親孝行したい時には親は無し」と言う言葉は常に心にあって、一緒に旅行に行ったり 簡単ではあったけど、年祝い 父母の結婚祝いをやりました。
でも、今は親孝行をもっと出来たのはないかと、とても辛いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親孝行とは
お父様を亡くされた悲しみ、お察し致します。
もっとしてあげられることがあったと嘆かれてるあなたの心は、ご両親に対する愛情に満ちています。その愛情故に、苦しまれるのでしょう。きっとご両親はあなたを心から愛しておられたのでしょうね。
心にぽっかりと空いてしまったその穴は、時間が経たなければ埋まってはくれません。ただ、今すぐとは申しませんが、いつかその心の穴が埋まってきた時に、どうか出来るだけ、日々を明るく楽しく元気に生きて頂けたなら、お父様も安心して向こうの世界からあなたをご覧になれることでしょう。
さて、これからあなたが出来る親孝行のお話を致します。
日蓮宗の開祖、日蓮聖人のお言葉をお借りします。
「我が頭は父母の頭。我が足は父母の足。我が十指は父母の十指。我が口は父母の口なり」
つまり、我々の体は親の分身のようなものであります。この親の分け身である自分の体を使わせてもらって、どれだけの功徳を積めるかが、何より肝要であり、本当の親孝行になるのです。
最後に日蓮聖人のお言葉をもうひとつ。
「孝とは高なり。天は高けれども孝よりも高からず。また、孝とは厚なり。地厚けれども孝より厚からず」
これからのあなたの生き方がすべてご両親へと還っていきます。
どうぞ、心と体を大切に、ご精進下さいませ。
拝
まだ終わっていない親孝行。
「親孝行したい時には親は無し」本当にその通りです。
私の両親は、今年、母親が43回忌、再来年が父の43回忌を迎えますが、未だに感謝しかありません。
オレンジさんの後悔する気持ちも分かりますが、では、どうしたら良かったのかと考えても答えはでません。また、どのような方法であったも、これで充分とは誰も思わないでしょう。
あくまで、親は我が子に対して、どのようであってもそれでいいと思うでしょう。ゆえに後悔はしないで欲しいと、お父さんは思っておられます。
私の宗派の宗祖(日蓮聖人)が、親孝行について次のように言われました。
現代訳です。親孝行を三段階に分けて、下品(下から)は、親に金品を渡すこと(大切なことかもしれませんが)、中品(中は)親の考えに従うこと。上品(一番は)親に供養すること。であるとあります。
供養というのは、もちろん読経したり、お供えをしたりということもそうですが、オレンジさん自身が、自らも、又、家族も幸せになるための努力は大切ですが、それ以上に他人に対しても、救いの手を差し伸べることで、そのお徳がお父様にも届くというものであります。
こうして生かされている間は、常もそのような心掛けをすることが最大のお父様に対しても、そして自分にとっても一番の親孝行になるのではないでしょうか。
となると亡くなっておられても親孝行は出来るということです。
又、その姿、行いを見て育つ我が子は、自然に親孝行とは何を学ぶでしょう。
されば、オレンジさんの今の後悔はしないということです。
これからも親孝行してくださいね。
親孝行の満足度にキリはありません。
本当にお辛いことと思います。
職業柄
人の命とはこういうものだと
理解されているでしょうが
我が親となると思いは別でしょうね。
『 遠くに住んでるからこそ
「親孝行したい時には親は無し」
という言葉は常に心にあって、
一緒に旅行に行ったり
簡単ではあったけど
年祝い 父母の結婚祝いをやりました。』
そこまでされている方は極少数でしょう。
お父さまは充分喜んでおられますよ。
もう実際には会えませんが
元気な様子を見ていてくださっています。
どうかそのことを忘れずにいてください。
質問者からのお礼
海祥様、日延様、隆恩様、もったいない位のありがたい御言葉、ありがとうございます。とても沁みました。これから49日があります。またまだ穴の空いた心にすきま風は吹いていて、父の声が聞きたい、逢いたいと思う毎日です。亡くなって初めての21日の父の日は、ヒマワリの花をたむけました。
ほんとにありがとうございました。