意識不明の父
こんにちは。以前自分のことで質問し、お言葉をいただきありがとうございました。
そんな中、肺癌ステージ4で入院している父の容態が昨日の朝急変。急ぎ駆けつけ、その後しばらくは少し回復し話せたりもしたのですが、今朝また急変しずっと意識がない状態です。
病院の個室で、大きな機械で酸素をおくらて、体に管をさして色々な薬を投入されている父を、母、妹、私でただ見つめて数時間経ちます。
今後どうなるかは予想がつかず、回復の可能性もあるが最悪は明日にでも、という中、医療と機械で生かされているが意識のない父をただただ見つめているのは辛く、気持ちがぼんやりしてきてしまいます。
いつまでどう続くかわからないこの状態に対して、私はどんな気持ちでいたらいいのでしょうか。少しでも気を緩めると涙が止まらなくなりそうです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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南無阿弥陀仏
可能なら、お父様の耳元で、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて聞かせてさしあげ、
「きっと極楽浄土にいけるからね、安心してね。私もいつか極楽浄土に行くから、また会えるからね。」
と伝えてあげましょう。
浄土宗では、念仏すれば阿弥陀仏の力で必ず極楽浄土に往生できると言われます。
昔は、臨終行儀と言って、病人の横で一緒に念仏して、極楽浄土への往生を願ったのです。
また、健康な人でも念仏するときは、常に、この念仏が人生最後の念仏(臨終の念仏)のつもりで念仏を称(とな)えます。
結果的に生き長らえれば、その念仏は平生(へいぜい)の念仏、つまり臨終ではない日常の念仏になるわけですが、常に臨終のつもりで念仏するのです。
この念仏がラスト念仏、このラスト念仏によって往生が確定する、と思って。
なお、臨終行儀では、親族が横で泣き叫んだりすることは良くないとされます。
理由は、患者にこの世への未練を起こさせる恐れがあるからです。
命は必ず終わりがきます。
しかし、人生の終わりが極楽浄土への旅立ちならば、その人生はハッピーエンドになるのです。
人生の卒業。お分かれは寂しいけれど、不幸ではないのです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
質問をした後、容態が急変しその晩に亡くなりましたので、間に合いませんでした。
念仏を唱えてあげることはできませんでしたが、名前や色々と声をかけたのが父に届いていたらいいなと思います。
木曜の夜に話していた父が、今日お骨となったのを見て、悲しい気持ちに加えて何か不思議な感じがしました。父の死で私が教えられたものや学ぶものは、とても大きなものなのじゃないのかなと感じています。