人との出会いを蔑ろにしてしまいます。
お忙しい中、質問に目を通して頂きありがとうございます。
本当にお手隙の際に読んでもらえれば幸いです。
聞きたいことは
お坊さんは人との出会いをどの様に捉えていますか?
出会いを大切にできるアドバイスを頂けませんか?
の二つです。
以下私の考えです。
生きていると必ず人と出会いますよね。
出会いの場は職場だったり、学校であったり。
でもいつか必ず別れる時があるじゃないですか。
転勤だったり、卒業だったり。
それを考えると、
どうしてもいずれ来る別れを恐れてしまい
人と仲を深める気になれません。
職場では業務的な会話ばかりしてしまいます。
会話を広げる機会はいくらでもあるのに
自分から話すことを辞めてしまいます。
本当は仲良くなりたいし、別れたくもありません。
全ての出会いを大切にしたいのに、
自分が辛い思いをしたくないあまりに、
どうしても人付き合いを疎かにしてしまいます。
本当はもっとたくさんの人と仲良くなりたいです。
離れても再び会える様な関係を築きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
縁(えん)
こんにちは、初めまして。
とても大切な問いです。
お答えしましょう。
確かに、「出会い」があれば「必ず別れる時がある」。
その通りです。
こんな言葉がありますので、お伝えします。
出会いは人生を豊かにし
別れは人生を深くする
読み人知らずですが、私はとても味わい深い人生の核心をつく言葉だと思います。
人間は気がついた時、既に生きています。
産まれようと明確な意思を以て産まれ、0歳0秒の人生をスタートした人はいません。物心ついたときには、既に人生は始まっています。
つまり、誰かのお陰で生き、誰かと共に生きることが既に現実のものとして始まっています。
自分の選択に依らず、あなたは親御さんと既に出会っています。
親御さんと出会うことも、分かれることもしないを選べるか、その事態を迎えないで済むか、これは不可能です。
人間は、生まれたときから既に出会いと別れを決定づけられ、捨てることが出来ません。その絶対条件の中で生きざるを得ない、そういった辛さを抱えて生きざるを得ないのが人間の根本的な問題でしょう。
この選ぶことが出来ない、しかしつながっている。
これを、縁といいます。
あなたは、親御さんとの出会いで心豊かに生活することが出来ているでしょう。
愛情の中に生活できている基礎があるからこそ、「職場」だったり、「学校」だったりする第三者との出会いと別れも同様に貴重に見えているのだと想像します。
そのように貴重で捨て難く思えるのは、出会いのお陰です。
その貴重な時間に終わりを告げるのが別れです。
しかし、その貴重さをその時その時で、十分に噛み締められているでしょうか。
別れてみて、あの日、あの時、あの人が言っていたのは、してくれたのはこういう意味だったかという深まりは、後々に気づけることがあります。その気付きが、出会いの縁をより一層味わい深くします。
出会っていた貴重な瞬間を、再び深く思い返せるのは別れのお陰です。
人生を豊かにするのは出会いであり、別れが一層出会いの意味を深めます。
縁の繋がりの中で喜怒哀楽する。
選べないものを愛おしむ。
これが人との縁の迎え様だと思います。
ご参考になれば
質問者からのお礼
釋 悠水さん
回答ありがとうございました。
とても参考になりました。
これからも縁を大切に生活してきたいと思います。