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人との出会いを蔑ろにしてしまいます。

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有り難し有り難し 9

お忙しい中、質問に目を通して頂きありがとうございます。
本当にお手隙の際に読んでもらえれば幸いです。

聞きたいことは
お坊さんは人との出会いをどの様に捉えていますか?
出会いを大切にできるアドバイスを頂けませんか?
の二つです。

以下私の考えです。
生きていると必ず人と出会いますよね。
出会いの場は職場だったり、学校であったり。
でもいつか必ず別れる時があるじゃないですか。
転勤だったり、卒業だったり。
それを考えると、
どうしてもいずれ来る別れを恐れてしまい
人と仲を深める気になれません。

職場では業務的な会話ばかりしてしまいます。
会話を広げる機会はいくらでもあるのに
自分から話すことを辞めてしまいます。
本当は仲良くなりたいし、別れたくもありません。
全ての出会いを大切にしたいのに、
自分が辛い思いをしたくないあまりに、
どうしても人付き合いを疎かにしてしまいます。
本当はもっとたくさんの人と仲良くなりたいです。
離れても再び会える様な関係を築きたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

縁(えん)

こんにちは、初めまして。

とても大切な問いです。
お答えしましょう。

確かに、「出会い」があれば「必ず別れる時がある」。
その通りです。

こんな言葉がありますので、お伝えします。

出会いは人生を豊かにし
別れは人生を深くする

読み人知らずですが、私はとても味わい深い人生の核心をつく言葉だと思います。

人間は気がついた時、既に生きています。
産まれようと明確な意思を以て産まれ、0歳0秒の人生をスタートした人はいません。物心ついたときには、既に人生は始まっています。

つまり、誰かのお陰で生き、誰かと共に生きることが既に現実のものとして始まっています。

自分の選択に依らず、あなたは親御さんと既に出会っています。
親御さんと出会うことも、分かれることもしないを選べるか、その事態を迎えないで済むか、これは不可能です。

人間は、生まれたときから既に出会いと別れを決定づけられ、捨てることが出来ません。その絶対条件の中で生きざるを得ない、そういった辛さを抱えて生きざるを得ないのが人間の根本的な問題でしょう。

この選ぶことが出来ない、しかしつながっている。
これを、縁といいます。

あなたは、親御さんとの出会いで心豊かに生活することが出来ているでしょう。
愛情の中に生活できている基礎があるからこそ、「職場」だったり、「学校」だったりする第三者との出会いと別れも同様に貴重に見えているのだと想像します。

そのように貴重で捨て難く思えるのは、出会いのお陰です。

その貴重な時間に終わりを告げるのが別れです。
しかし、その貴重さをその時その時で、十分に噛み締められているでしょうか。
別れてみて、あの日、あの時、あの人が言っていたのは、してくれたのはこういう意味だったかという深まりは、後々に気づけることがあります。その気付きが、出会いの縁をより一層味わい深くします。

出会っていた貴重な瞬間を、再び深く思い返せるのは別れのお陰です。

人生を豊かにするのは出会いであり、別れが一層出会いの意味を深めます。

縁の繋がりの中で喜怒哀楽する。
選べないものを愛おしむ。
これが人との縁の迎え様だと思います。

ご参考になれば

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

釋 悠水さん
回答ありがとうございました。
とても参考になりました。
これからも縁を大切に生活してきたいと思います。

「縁とは・縁をつなぐ」問答一覧

古くからの縁に対する違和感について

お世話になります。 宜しくお願いします。 今回は、古くからの友人に対する違和感についてご相談したく、ご連絡しました。 私は去年の春に適応障害を患い、約半年間の療養を経て今に至ります。来月からは次の仕事が控えており、これらの出来事は、私の人生史上で最も大きな影響を自らに及ぼしたかと思います。 こうした環境下で、自らの思考や感性、行動が、それ以前と比べてかなり変化しました。その変化は、まさしく成長と呼ぶに相応しいと自認しています。 しかしながら、ここで問題が生じます。古くからの友人との会話に違和感を感じ始めたのです。今まで感じていなかった相手の短所、価値観の不一致などがふつふつと湧いており、今までフタをして閉じてきたものが、溢れてしまいそうです。変わってしまった自分を悲しく思うも、それが自分の成長の証であるかのように考える自分がいることも事実です。 ただ、そんな自分を肯定しようとするも、そうなってしまったのは自分が不寛容だからでは?ただの完璧主義なのでは?相手を許すべきなのでは?相手を見下しているのでは?古くからの縁を大切にすることは徳を積むことなのでは?などと、自分自身を責めることもあります。 一体私は、こうした変化をどのように受け止めればいいのでしょうか。今の私は、善悪で言うところの悪なのでしょうか。 ご教示頂ければ幸甚です。 何卒宜しくお願い致します。

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同じ悪縁が巡ってきました

ご縁についての質問です。 今働いている会社を思いがけず退職することになり、以前働いていたA社に復帰することになりました。 辞めた当時はA社に不満があったのですが、色々な職場を経験したことで、その会社の良さに気付くことができたからです。 親しい人も居るし、どうやら歓迎してもらえているようだったので、有り難かったです。 ところが、問題が起こりました。 私と同時期に、知人もA社に就職することが決まったのです。 ややこしいのですが、知人の沢口さん(便宜上の仮名です)は私と同じくA社の元社員で、私とは別のB社で知り合いました。 時系列でいうと、 沢口さんがA社を退職後に何度か転職をしてB社へ入社。 私はB社で沢口さんと知り合い、A社を勧められてA社に転職。 その後私もA社を離職。 という流れです。 B社では、沢口さんが人間関係のトラブルを起こしていたことは知っていましたが、沢口さんとB社がミスマッチだったのだろうと思っていました。 ところがA社へ入社後、沢口さんがA社でもトラブルを起こしていたことを知りました。 詳しい経緯を書くと収まらないので省略しますが、私自身もその後、沢口さんとトラブルになりました。 それ以来、着信拒否をするなどして連絡を断っていました。共通の友人もいないので、沢口さんがどうしていたかは不明でした。 しかし、沢口さんがいそうな地域や場所には近付かないようにするほど、二度と関わりたくないと思っていました。 A社は移動や入れ替わりが多く、沢口さんがいた当時を知る人は既にほとんどいないようです。 元々お互いA社に縁があったとはいえ、同じタイミングで再び入社することになるなんて…と驚いています。 正直、A社に入社することは諦めようかと思っています。 おそらく、精神的に持たないと思うからです。 ですが、沢口さんがまたトラブルを起こすのは分かりきっているし、私の方が周囲とうまくやっていけると思うので、何だかなぁと割り切れない思いでいます。 一度切れたと思っていた悪縁が再び巡ってきた時、それをどのように捉えればいいでしょうか? 悪縁とはいえ、それを少しでも前向きに捉えて、この先のことを決められたらと考えています。 アドバイスよろしくお願いします。

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縁は切りたくない。連絡して良いものか。

初めて相談させて頂きます。大学生です。 私には「友達に戻りたい」と言われ別れた元彼女がいます。その人と友達に戻りたいのです。 2ヶ月の交際期間でした。別れを告げられた際、私は本気で相手を好きでいました。だからこそ、本音を押さえ、相手の要望を受け入れました。 しかし今、私は相手と絶縁状態になりました。彼女が私を徹底して避けています。別れた後話す事も、校内で会っても挨拶も一度もありません。半年以上この状態です。 「最後の最後に嘘をつかれた」と私はかなりショックを受けました。正直「友達になるが疎遠にはならない」と僅かに希望を感じていました。故にショックも大きかったのです。 別れの原因は全て私です。相手の意思や気持ちを上手く理解してあげられなかった。だから絶縁されても当然だとは思います。 でも顔を見かけたり、バッタリ会った時の「別れる際の言葉」と「現実」のギャップがずっとずっと苦しいのです。それでもいつか「友達」になれるのではと期待してしまって。「この拒絶も相手の望み」と耐えてきました。でも正直もう疲れました。 私は相手を人として心から尊敬しています。本当は縁を繋いでいたい。無理なら無理でそれでいい。真実を知る為にも連絡したいと思っています。でもこれはあまりに自分勝手な行動です。楽になりたいと言う思いもあります。正直はばかってしまって…。 相手の気持ちを考えていない行いなのは分かっています。それでも、私は連絡してもいいでしょうか。

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何をしても縁が繋がりません

私は43歳の男です。 現在まで異性と付き合った事がありませんし、友人ももう10年近くいません。 まずは友人からとボランティア参加や趣味のコスプレイベントにも参加して挨拶をしたりと精力的に行動しましたが、繋がれませんでした。 またSNSでも自分の趣味や食べ物などを投稿しても誰からも反応はもらえず、こちらからリアクションしても誰にも反応を返してもらえずにいまして、孤独を打ち破れません。 こんな事をしてる内に自分は心筋梗塞や腫瘍などの大病をし、また精神障害も分かり見も心もぼろぼろになり、更には障害者雇用も打ち切られ今よりも貧乏になり、余計に異性と繋がりなど持てない人間になります。 しかし世の中を見れば色々な人間がいて良い面も悪い面もあるはずなのに、家族やカップルで暮らしています。 なぜ私はここまで誰にも相手にされないのか…?嫌われるのか…?孤独なのか…? と辛いです。 やはり障害持ちや社会で底辺の人間だから孤独に生きるべきなのでしょうか? もう1人で頑張ることに疲れました。よく書籍やインターネット記事で「孤独を楽しみなさい。慣れなさい。死ぬまで孤独」など目にしますが、そんな境地にはいけません。 諦めて孤独死するしか私にはない運命なのでしょうか?

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正反対のご縁

長年連れ添ってくれた身内、パートナーのことを外や陰で悪く言うことは差し控えたいところですが、相談員の方から「あなたの心と体が壊れる前に、離婚に向けて、具体的に相談に乗ってくれる機関を頼ってほしい」と助言を受けました。 職場を通じて知り合った、再婚経験者、シングル・初婚のまま伴侶と共に子育てを終えつつある先輩方(同性・異性どちらも)から、本当に優しく有難い共感やアドバイスを毎日のようにいただいています。 ぽつんと離活をしたい、と言葉にした時「まだだったの?こんなに外で働いてるってことは、てっきりもうしてるのかと…」と笑顔で返され 素のままの自分の本音を出せた清々しさと同時に、胸の奥に突き刺さった杭を抜くように夫に、ごめんね、と心の底からお詫びしました。 そして、辛い私を支えてくれる存在もいます。感謝と共に、もし「縁切り後に自分と共に」と周りからも追い風を受けるような雰囲気ならば、そのまま寄り添いたいです。 その人は私にとって 私を心から大切にしてくれる人。 仕事仲間を大切にする人。 そして仕事仲間から、大切にされる人。 控えめかつ、信念のある人。 仕事仲間をリードし、いざという時に頼られる人。 一生懸命な人。 私の至らぬところを心広く許し、気持ちを楽にしてくれて、弱さをわかってくれる人。 安定した人、器量のある人。 私の困った時、弱った時に、何とか解決しようとアドバイスをくれる人。 すぐに謝罪のできる人、リカバリー・信頼回復のために「次はこうします」と約束できる人。 繊細で、明るく、ポジティブに努力する人。 相手の良いことには良いと共感し、時には励ます人。 また一方で相手の悪い面には反応せず目をつぶり冷静に受け流したり、黙って見過ごすことで私に振り返る機会を与えてくれる人。 お寺の言葉=謙虚さや、思いやり、精進、尊敬、感謝が自然と出てくる人。 私の大切に思うことを、同じく大切にしてくれる人。 幸せとは何か、の価値観が一致しそうな人。 私の全部を知ることは無理でも、わかろうと誠実に向き合ってくれる人。 いただきものを独占せず、みんなにシェアしようと瞬時に判断できる人。 責任感のある人。 知らないことは素直に、知らなかったと言える人。 落ち込むことがあっても、仲間に支えられ、すぐに立ち直り、清々しく前進・成長している人。 とても、有り難く支えていきたい一人です。

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