明日死んでもいい。希望がありません。
初めて相談します。
夫と2人で暮らしています。
働かなくても良いけどそれでは退屈だから少しは外に出ては?との勧めで週3日のパートをしています。職場の人間関係は、変わった人に悩まされることもありますが、概ね平和な方だと思います。
空いた時間は趣味に使ったりひとりで買い物やお茶をしたりしています。
色々なことに悩んでいる方、現在辛い境遇に居られる方の相談も見ましたが、私は今恵まれた環境にいるとは思います。
これで幸せ、満足しないといけないと思っています。
もっと辛くても頑張っている人もいると思うのにこんなことを言うのは申し訳ないのですが、私はこの先の人生に希望が持てなくて死んでしまいたい気持ちをここ数年持っています。今なら苦しまずに死ねるよ、と言われたら是非と名乗りを挙げたいです。でも自分から命を断つのは怖くてできません。
子供時代は辛い記憶が多いです。私には自己肯定感がありません。父親には気分で怒鳴られ殴られ、助けてほしくて泣き叫んでも母親は無視。叱られるというよりは気分で言い掛かりをつけられるという感じで、いつ機嫌を損ねたらと思うと家にいるのは落ち着かず、早く大人になってひとり暮らしをしたいと思っていました。
それでも金銭的には恵まれた環境だったため、大学もなんとか卒業でき、就職をすることができました。それを機にひとり暮らしも始めました。
しかし楽な職場ではなく、休みは少なく長時間労働、祝日は休めず、中学生から続けている趣味の活動には参加できずとても辛かったです。
鬱っぽくなってしまい、結婚して早く辞めたいと思っていました。
そうして幸いにも結婚することができたのですが、全て解き放たれてもう何も心配することがないと思ったら希望や目標がないことに気づきました。みんなどうして生きてるんだろう。心が満たされるものがなくて寂しい、辛い。そんなことばかり考えてしまいます。
趣味もあるのに心が満たされないのも贅沢だと思っています。
ですが、自分が生きていることが虚しくて涙を流す日々が続いています。
今日も眠れず、死にたい、と検索して色々眺めていたところ、このサイトに辿り着きました。
思いのままに書き込んでしまい、まとまりがない乱文となってしまったかもしれません。
私の未来に続く道があるならそこに灯りをともしたいと思い、相談させていただきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ひとりだと迷ってしまうので、 一緒に歩きませんか。光の方へ。
まだ、起きていますか。
考えると、余計に眠れなくなりますよね。
外は雨でしょ? なんだか、閉じ込められたようで、怖くなったりもします。
あなたが こうして文字にしながらも、死にたいとひとりで泣いてはいないかと、心配です。
生きるためのものは手にしていても、
心からの安心に及ばず、満たされないまま、穴が空いているような感じかしらねぇ。それとも暗い闇かな。
変わっていきたいですね。
本当は、死ぬことより、手にしている幸せをちゃんと実感したいのではないですか。
希望や目標に向かって、歩ける自分でいたいのではないですか。
趣味はあっても、やっているだけになっているのではないですか。
こんなことをしたって、誰にも何にも与えられていないって。思ってしまうのではないですか。
いろいろ、問うてしまいましたね。
私も、あなたを想って、堂々巡りです。
それでも、こんな話を誰かに出来たり、反応が返ってきたり、答えのない人生を問えることも、ちゃんと生きたいと思うからでしょうね。
自分が闇の中にいるときは、なかなか出口が見えず、自分から光を生み出しにくい。
だから、仏様がこっちだよと照らし続けてくださっていますよ。
こんな大雨でも、必ず晴れるよって、その向こうから届けって喚んでくださっています。
ひとりだと迷ってしまうので、
一緒に歩きませんか。
光の方へ。
虚しくて涙が出たって、
それでも生きていく道を探してみましょう。
もがくくらいのパワーは、つけなきゃね。
明日は、ちょっと顔が上に向けばいいなぁ。
少しずつでも。光が届けば、視野も広がって、見やすくなって、顔が上がっていきますように。
手を繋いでいますよ。
安心して。
おやすみなさい。
質問者からのお礼
こんばんは。
相談にこたえてくださってありがとうございます。
「甘ったれるな!」と言われてしまうかなと不安だったので、否定をせずに声をかけてくださったことにまず救われた気持ちです。
『本当は、死ぬことより、手にしている幸せをちゃんと実感したいのではないですか。 』とおっしゃいましたが、なるほど、自分では考えていなかったけれどそうなのかもしれないと思いました。
幸せを実感できるようになるにはどうしたらいいのか。今の状況をもっと感謝するために考え方を変えるのか、それとも他に幸せだと思えることを探すのか。少し考えてみたいなと思いました。
『それでも、こんな話を誰かに出来たり、反応が返ってきたり、答えのない人生を問えることも、ちゃんと生きたいと思うからでしょうね。』
前に友人に「なんのために生きているのか」という話をしたことがあるのですが、その時に「そんなこと一生懸命考えて生きてる人の方が少ないんじゃない?」と言われたことを思い出しました。
生きるなら一生懸命にならなくてはいけないと思わずに、もう少し肩の力を抜くべきなのか。それとも私はこういう人なのだと、やはり一生懸命に生きるためにはどうしたらいいのかを考えるのか。
まだ考えることは続きそうですが、漠然と不安になって闇の中でしゃがみこんでいるよりも、選択肢が浮かび上がったことで顔を少し上げて少し周りを歩いてみたい、そんな気持ちになっています。
遠い場所で、夜更けに、心配して声をかけて下さりありがとうございました。心に少し明かりが灯ったような気持ちになりました。また悩むこともあるかもしれませんが、いただいた言葉を胸に、もう少し頑張りたいと思います。