悲壮感漂わせる友達にもやっとしてしまう
こんにちは。
私は今大学生なのですが、つい最近同じ大学で同じ学科の友達の悩みを聞いていた時のことです。その友達を仮にAちゃんとします。
コロナのこともあり、就活もやり方がごろっと変わり、授業も休校していた分かなりキツキツに進んでいます。課題も多く、テストも間近となっているため、Aちゃんが不安だと相談してきました。
私ももちろん不安なので、わかるわかるとうんうん頷いていたのですが、Aちゃんがその時
「私の将来どん底だわ。なんで人生こんなに辛いんだろ。不安すぎて今日も泣いたよ。」
と何回も言っていたのです。Aちゃんは極度の不安がり、心配性で他の子にもよくそう話しているのですが…。
この時モヤッとしてしまったのです。
というのも、今月私の母親が亡くなりました。亡くなる前も夫婦喧嘩が絶えなかったり、体の弱い母親の看病をしたりしていました。(Aちゃんはこのことを理解しています)
その為、家にいることが多く大学生前半は遊びにもあまり行けず、バイトも車の免許をとることもできませんでした。
今私は車校やバイトに行きながら就活と勉強をしています。
Aちゃんはよく家族の話をしてくれます。
祖母、祖父、親戚、両親共々仲がいい話をよくするのです。
車の免許も親に金を出してもらい、短期コースで免許を取得しました。
バイトはしていないのですが、1ヶ月に何万かお小遣いを貰っています。
私よりもマメな性格なので、成績は優秀です(ここは本人の努力なので何も言うことはありません)。
結論を言うと、
私はAちゃんに嫉妬をしてしまいました。
心の中で、
「私よりも恵まれているくせに、母が死んで先が不安なのはこっちの方なのに、どうして私よりも人生に絶望して、不安がって、悲劇のヒロインぶっているんだ。」
と思ってしまったのです。
思うと同時に、悲劇のヒロインぶっているのは自分ではないかと自分にも嫌気がさしました。
それでも、
「不安すぎて家で吐いちゃったんだよね〜。」
「先のこと不安すぎて精神不安定になってるからカウンセリングで診てもらおうかな〜…。」
という言葉を聞くごとに、私の心がモヤモヤとしていくのです。
こんなとき、どんな心持ちでいればいいのでしょう。楽になれる考え方を、どうか教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「私はそうは思わない!!」
まるでhasunohaの回答僧の本音のような質問、ありがとうございます。
その手の人には、自分が他の誰か(例えば、あなた)よりも不幸である、不遇に耐えているという特異な自負があり、その点において相手より自分のほうが勝っていると思いたい、という心理が働いていると考えられます。これを仏教では【卑下慢】といい、アドラー心理学では【コンプレックス】といいます。ちなみに、転落院は「可哀想がられたがり症候群」と呼んでいます(笑)
これは誰の上においても何の栄養にもならず、Aさんの為にも他ならぬ自分のためにもズバッと指摘して目を覚まさせてやるのが一番ですが、責任ある発言をするというのは思いの外、角が立つことも往々にしてあるので、相手に嫌われてもいい、関係が壊れても仕方がないという、ある程度の覚悟が必要になります。
誰にでも愚痴のひとつやふたつ言いたくなることはあるでしょうから、ある程度はボランティア精神で付き合ってやるのも大事ですが、あなたの精神衛生的にもあまりよいものでもありませんし、あなたのかけがえのない時間を浪費することに繋がってしまうのなら、「私はそうは思わない」とハッキリあなたの姿勢、立ち位置を示すことで、泣きついてこの人は同調してきてくれないんだ、と諦められるように引導を渡してやることも大事かもしれませんね。
質問者からのお礼
質問に答えて下さってありがとうございます!
回答僧の本音のような質問という言葉に少し笑ってしまいました笑
卑下慢を受けた人が「私の方が…」と卑下慢を語り、それを受けた人がまた他の人に語り…のサイクルなんですね…奥が深いです。
結局人間、誰かに頑張りを認められたいだけなのかもしれませんね。
あまりにも耐えられない時は言ってやろうと思います。
改めて、ありがとうございました。