過去の罪について
以前からこのサイトに相談させて頂いている者です。
私は今過去の過ちを思い出してしまいとても苦しいです。私は今大学生なのですが、高校生の時に、友人関係でトラブルが起こってしまい、学校に行くのがとても辛かった時期がありました。
そのトラブルは今考えればお互いに悪かったところがあり、今は距離を取って解決したのですが、その時期に教室でお弁当を食べる事が出来ず、お恥ずかしい話ですが、使用する人のいない棟のトイレで昼食をとっていました。しかし、とても昼食を摂れる精神状態ではなく、食べても吐いてしまったり、本当に駄目なことだと分かっていながらお弁当を捨ててしまう事がありました。
それも一回や二回ではなく、学期を通して食べ物を粗末にしてしまいました。世の中には食べるものがなくて苦しむ人がいるのに、お弁当を作ってくれた親にも、農家さんにも申し訳ない気持ちで一杯です。
本当に自分本位な質問ですが、償うためにはどうしたら良いのでしょう。
私は許される事が出来るのでしょうか。
世界中が大変な中、将来が不安でいつ死んでしまうかもわかりません。このまま罪を償う事が出来なかったら地獄へ落ちてしまうかもしれません。自業自得の事で申し訳ありませんが、これからどうやって罪を償って生きていけば良いでしょうか。
後悔の気持ちが止まりません。ご回答いただけたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
報恩の行
こんばんは。
ご質問文拝見しました。
友だちとの人間関係のもめ事の八つ当たりを弁当にしてしまい申し訳なかった。
お百姓さんと弁当作った家族に悪いことをしたという後悔が消えない悩みとして聴かせていただきました。
理想をいえば、一番の償いは後悔しない人生を今から実践することでしょうか。
仏教的な模範解答は後悔に執着しすぎない。
とはいえ、昔の過ちが頭をよぎることは私もあります。何度もあります。
そんなときは、鼻から息を吸う深呼吸をします。
私は鬼は外呼吸法と言ってます。
家族にはため息?と言われますが、
いや違うよ。吐く息と一緒に過去のモヤモヤをデトックスしてると話してます。
息と一緒に雑念を外に出す。
試してみて、悪くないならたまにやってみてください。
あ、ひとつ心の中に留めていただきたいことがあります。
師から私は、仏教と歩む人生は罪を償う贖罪の道ではなく、恩に報いる報恩の道だと教えられました。
今を大切に生きるなかで、自分自身許せなかった過去の行為が、現在の善行につながる因子と考えられることで過去が報われる。
なんでそう考えるかというと、自分本位の判断で下した悪は絶対不変ではなく、因と縁で関係性が変わるからです。
ごめんなさい、私が小難しい理屈こねても桃子さまの辛さが変わることにはつながらないですね。
あと何個か、言葉やイメージや身体の力を借りた方法をお伝えします。
可能なら試しにやってみてください
1.トイレじゃないところで弁当食べようと思うこと。(念じる)
2.トイレじゃないところでご飯食べたときは「ごちそうさま、成長したよ、ありがとう」と唱える(読誦)
3.ご飯はよく噛んでたべる。無理に食べすぎない。
4.死に急がない。生き延びる。
5.私の過去の食べ残しが、地球の大地の肥やしに成っていることを祈り願う。
どれか一つでもいいので、よければやってみてください。
人生が報われますように私も一緒に念じます。なまんだぶつ、なまんだぶつ。
質問者からのお礼
ご回答いただきありがとうございます。
ずっと悪い事をした、許されないのでは無いかと思っていたのですが、少し気持ちが軽くなりました。
これからはもうそういった事をしない様に報恩の道を歩んでいける様に頑張ります。
沢山の質問の中から見つけて下さってありがとうございました。