祖母の死
本日、祖母が亡くなりました。90歳でした。
一人暮らしをしていて、自宅の台所兼脱衣所で倒れていたところを週に1回訪問するヘルパーさんが発見したそうです。
これといった病気はなかったのですが、数日前から少し体調が悪く、母が木曜日に電話したときは大丈夫だと言っていたそうです。
本当に急です。死因と死亡推定時刻ははまだ警察署で安置されているのでわかりません。が、1人で倒れて亡くなって寂しかったろう苦しかったろうと思うと、やるせなくて悔しくて涙が止まりません。
台所のテーブルクロスもぐちゃぐちゃになっていて、苦しかった時間があったのだと思います。それを思うと本当に本当に悔しくて涙が止まりません。やるせないです。しかし顔は苦しんでる様子はなく穏やかで眠っているようでした。
ここ最近、コロナで会うこともできていなく、最後にあったのはお正月で、電話で会話をしたのは4月のおわりです。
もっと私にできることはなかったでしょうか。祖母に幸せな最期を迎えてほしいのですが、私にこれからできることはなんでしょうか。祖母に私の思いは届くのでしょうか。
2年前の9月に離婚した父が亡くなったばかりです。こんなにも身近な大切な人が亡くなっていくのは、精神が持ちません。ふとしたときにやるせない気持ちになります。
とにかく気持ちを落ち着かせたいです。動転しています。お言葉をください。よろしくお願いいたします。
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後悔や自責はごく自然なことです
ゆうさん、おはようございます。思いがけない急な別れに際し、このハスノハを頼ってくださったのですね。もう、おばあちゃまと対面されましたか。
ゆーさんが出来る事。それは、おばあちゃまのお通夜・お葬儀をご縁のある方と丁寧に勤めることです。丁寧にというのは、心を込めることと同時に、お通夜・お葬儀の時間をしっかり体験するということです。最近はいろんな事情で時間を短縮することが多いようですが、本来は思いがけない別れを経験した者同士が故人を偲び、現実を次第に受け止めようとするために必要不可欠な時間なのです。では、偲ぶとは具体的に何をすることでしょうか。それは、故人の思い出を思い出し、お互いに語り合い、聞き合うということです。語り合う中には、急なお別れによる後悔や反省・自責も当然含まれます。それで良いのです。それらの思いはゆうさんがたった一人で抱える必要はなく、親戚・縁者も同じような思いを抱えていることを知り、分かち合うことができます。さらに私の場合は、お通夜の夜に参られた方に、故人様の思い出を書き出していただくプリントを用意しています。頭の中で思い出すだけではなく、書き出すことでより豊かに思い出すことができますし、みんなと分かち合いやすくなります。おばあちゃまは90年という長きにわたり、それこそ先の戦争の悲しみや戦後の混乱・復興の中で生き抜かれた生き字引のような方だったろうと想像した時、その人生の一コマ一コマに、これからを生きるゆうさんへのメッセージもたくさん発見できるのではないでしょうか。
今は、「なぜこんなに急に」「何もできなかった」と後悔や自責を抱えておられて、ごく当然です。どうぞ、お通夜・お葬儀の際には、集られた皆さんとしっかり思い出話をし それを書き出し、すごいおばあちゃんだったという事をみんなで分かち合ってください。
そして、このおばあちゃんの孫としてたくましく生きていくことを、おばあちゃまにつぶやいてあげてください。
大切な方のお別れを経験することで、しばらく心身の変化が出てくることがあります。どうぞ、身体を厭いながらお過ごしくださいね。何かの時にご参考になればと思い、こちらのサイトもあらかじめご紹介をしておきます。
心からお悔やみを申しあげ、お念仏を申しあげます。
一般社団法人リヴオンhttps://www.live-on.me/
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。
おばあちゃんにわたしができること、まだたくさんあるんですね。もっと強く生きて、おばあちゃんのことを忘れずに生きていきます。