家族の新興宗教狂いに困っています
お忙しいところとは思いますが、相談させて頂きたく思います。
わたしの一族は曽祖父母から80年以上仏教系新興宗教にはまっております。
先祖供養を主眼に置いて、修行をすればお寺に頼らず戒名を書けるという団体で、まぁ、継続してお金を払えば「修行」が成り立つような団体です。
そのはまり具合は様々な部分に影を落とし、わたしの直接の家系だけでも祖母の洗脳(疑問を口にした幼き叔父を殴り倒すなど)、信仰に嫌気がさした祖父(マスオさん)との離婚、母子家庭化、貧困。
更にはその流れがわたしの母の代まで来て離婚、母子家庭化、貧困を引きずってきました。
無論、彼らはわたしにも信仰を押し付けてきましたし(非常に苦痛でした)、今でも押し付けてきます。
(わたしの名前も信者として登録されており「会費」を取られてるようです)
「あの団体は我々一族に不幸しかもたらさなかったのではないか?」と以前意を決して口にしましたが、彼らはただ黙るばかり。未だに団体独自のアイテム等を買って送りつけてきます。
わたしは親戚の中では宗教的に四面楚歌です。
わたしは仏教系の大学に入学でき、日蓮宗の教義に触れる事が出来た上に、twitterなどで様々な宗派のお坊さんのお言葉を聴き、親戚一同に浸透している「教え」が如何に仏教のコンセンサスから離れているかは判ります(先祖供養をおろそかにすると罰が当たって地獄に落ちる・悪い事は全て先祖、過去世からの因縁等々)。
実家住まいなら、今頃わたしの気が触れているのではないかと思うほどです。
とはいえ、血の繋がった間柄です。母だけでも最後には「バチ」の恐怖から逃れられるようにお釈迦さまの教えはそんなチャチなものではないと精一杯説得を続けるべきなのか、母は既に70歳近いので距離をとって愛想笑いだけしておくか迷っております。
ちなみに以前、再びやんわりと件の団体を否定したところ「お釈迦さまではなく曾祖母への信仰だ」とまで言い出しました。絶句しました。
「正しいと思って」説得するなりしてわたしも母も苦しむのでは、それは思い切り煩悩による苦しみだと思います。ですので「ほっといた方がいいのかな」とも思いつつ「そんな冷たいのもどうかな」とやはり迷っています。
この件についてお言葉を頂ければと思います。よろしくお願いします。
食欲、知識欲旺盛。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自然のままでいいです。
一応、日蓮宗の僧籍あるものとしてお答えします。
しゅんぺいたさんのご苦労をお察し申し上げます。
しゅんぺいたさんの言われる新興宗教もある程度検討がつきますが、それはそれで深くは追及しません。
又、私も同じ大学で学んだと思います。
さて、新興宗教の特長は、教祖を第一に称えることで教団が成り立ちます。ゆえに教祖が亡くなれば、権力争いになり分裂を繰り返し、いずれは自滅するでしょう。何故なら教学がないからです。教えを都合で合わせていくので、少し学べは矛盾だらけなのですが、残念ながら苦しい時のナントかで一度頼ってしまうと、今度は、班長さんとか組長さんとか支部長とかの地位名誉を利用し、又、無用な罰論を展開して抜けれない状態にする。というのが新興宗教の共通の常套手段です。
そして何でも先祖供養につなげていき、上手くいかない原因は、先祖供養や上納金が少ないからと、自己責任はどこへいったのかと思う程、巧みにあやつられます。又、地域の仲間(会員)が集団となり、入れ替わり責めてくるので、やはりやめられないという構造です。
さて、お母さんの件ですが、自ら疑問を持たなければ、何を言っても返って苦しむだけです。今生はこのままで仕方ないでしょう。
私たちは、今生だけではありません。何度でも生まれてきたければきます。
また、いづれ善き仏縁に結ばれればいいと思います。
学校で学ばれたかと思いますが、「教弥実位弥下」で「毒鼓の縁」により、いづれは、しゅんぺいたさんの思う仏縁に結ばれるでしょう。
今生は、しゅんぺいたさんを目覚めさせるための親族であったのかもしれません。
すべては今生のみではない。ということです。
質問者からのお礼
鈴木海祥先生
優しいお言葉に隠れた厳しいメッセージを受け取りました。
「親である」という事で、無条件に共にあろうと甘えていた節があったような気がしています。そうですね。これはわたしの人生でした。子としての人生ではありませんでした。気付かせて頂いて感謝いたしております。ありがとうございます。