後悔してもしきれない
以前質問させて頂きました。ですが、まだなかなか立ち直れずまた質問させて下さい。
私は母の死がどうしても自分のせいだとしか思えないのです。母はくも膜下出血で亡くなりました。くも膜下出血の前兆は片頭痛であり、母は片頭痛がすると言ってとても辛そうでした。私も頭痛持ちです。なので母の痛みがよくわかります。なのに休ませようと一緒にいてあげられませんでした。
体調はどうかとLINEをしても帰ってこず、部屋に行くといびきをかいていました。でもそれは意識がすでに無くなっているようでした。そんなことも知らず私は妹に母は片頭痛で辛そうだからリビングで寝ようと言ってしまいました。頭痛が酷くて吐いていたのも知っていたのに起きてから様子を見ようと考えていました。本当に馬鹿です。
布団を取りにすぐ横に行ったのに気付いてあげられませんでした。起こしてしまうだろうと電気もつけませんでした。
母はどんなに苦しかっただろう。自分が助けられたはず。なのに私は呑気に過ごしていました。自分を殴りたくなります。私のことを1番大切にしてくれた母が私のせいで亡くなってしまった。もう取り返しがつきません。父や祖母に話しても私のせいではないと言います。ですがどうしてもそう思えないのです。昼間は孤独に陥り夜は何度も思い返してしまいます。もっとたくさん話をして抱きしめたかったです。でももう母の温もりを感じることはできません。生きる糧がみつからなくなりました。母に会いたくてたまりません。
幸せになることが母の願いだと言いますが本当に私は幸せになる価値があるのでしょうか。もう毎日が無気力です。後を追いたいです。でもそんな勇気もありません。母は私を見守ってくれるのでしょうか。会って母に謝りたいです。お盆の日は会えるのでしょうか。どうするのが正解なのでしょうか。本当に分からなくなってしまいました。
文章がまとまらず又質問ばかりで申し訳ありません。宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『価値そのものが幸せ』。
はじめまして、こんばんは。
浩文(こうぶん)と申します。
ririaさんを責めているのはririaさん、
あなただけですよ。
『父や祖母に話しても私のせいではないと言います。ですがどうしてもそう思えないのです。』
ririaさん、仮にあなたのせいだとしましょう。
では亡くなったお母さまは、どうでしょうか。
あなたのせいにしていると思いますか?
あなたが自分自身を責めている姿を見て
お母さまはどう思うでしょうか。
果たしてそれでお母さまが喜ぶと思いますか。
お母さまは当然胸を痛めるでしょう。
ririaさんにとって、お母さまがそれだけ大切な存在だったのはなぜだと思いますか?
お母さまにとってririaさんがそれだけ大切な存在だったからでしょう。
どうしてririaさんを見守らないことがありましょうか。
おふたりの、その間柄が、ririaさんの価値そのものだと思います。
幸せになる価値があるのでしょうかと仰いましたね。
間柄にあった『価値そのものが幸せ』なんです。
無理に「自分を責めるな」とは申せません。
しかし今一度、どうかゆっくりお考えください。
ririaさんの痛みは、お母さまの痛みです。
なかなか答えは出ないかもしれません。
ririaさんがそれでも前を見て生きるなら、
きっとお母さまも笑って許してくださるはずです。
私はそう信じています。
南無釈迦牟尼仏 合掌
心の中で、会えます。
大好きなお母様が亡くなられて、寂しく、さらにいろいろ思い巡り、ご自身も責めて、お辛いことと思います。
私の個人的な意見を書かせていただきますね。
死で全てが無くなる訳では決してありません。
静かに落ち着ける時と安全な場所を見つけて(寝る前の布団の上などに座るといいかもしれません。)、心の中にお母様を思い、ゆっくりと、お母様と会話をしてみてください。
私たちの心は、普段生活している部分より、深い深い部分で、皆が繋がっています。
ですから、決して気休めではなく、会話ができると思います。
最初は上手くいかないかもしれませんが、少し根気よく続けてみると、お母様と会話して、ご自分が言いたかったことや、お母様はどう感じておられたかなど話せるかもしれません。
ドイツや欧米では医学的に認められている催眠療法では、大切な方を亡くされて悲嘆に暮れてしまう方に潜在意識に働きかけて、亡くなられた方と対話する療法もあります。
仏さま、神さまに護って頂き、お母様の意思を感じられることをお祈りさせて頂きますね。
合掌
質問者からのお礼
浩文様、お忙しい中ご回答いただきありがとうございます。確かに母は私が笑っているのを見てとても幸せそうでした。母と過ごした時間はいつも笑いが絶えませんでした。自分の痛みは母の痛みとは考えてもいませんでした。自分中心だったのかもしれません。そのような痛みは母に与えてはならないと反省しました。明日は母がよく作ってくれた私の好物を供えようと思います。試行錯誤しながらですが前を向いて生きなければ心配させてしまうと気づきました。生きる希望が少し見えました。本当にありがとうございます。
悟東様、お忙しい中ご回答いただきありがとうございます。母と会話を試みようと思います。いつも朝晩おはよう、お休みと声を掛けています。届いていること良いのですが、、海外ではそのような療法があるのですね。初めてしりました。参考にさせていただきます。母と話せる日を夢見てます。本当にありがとうございます。